自分の思い通りにならない、それが他人

いろいろエッセイ
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 さぁ~て、今日も執筆、執筆。というわけで最近わたしが考えていることを手短に書いていきたいと思う。しばしのお付き合いを。
 ストレートに言いますけど、他人って自分の思い通りに動いてくれないよね~っていう話をしたい。何だ、星さん。そんなの当たり前だよ。たしかに当たり前だけど、そう言いなさんな。意外とこのことにつまづく人が多いのです。と、かく言うわたしも以前はそのことにつまづいておりましたから。
 わたしと他人。それは別々の人で、別の人格を持ち、別の環境で育ってきて、その人独自の考えを持ち、その人独自の行動をする。このことがしっかりとつかめていないと、「何でここでその行動なんだよ」とか「もっとこうしてくれてもいいんじゃないの?」という不満がこんこんとわき出してくるのだ。わたしと他人は同じ人間だけれど別の生き物。それくらいに考えていたほうがいいと思うのはそういうわけだ。
 そして、その他人(他者とも言えるけれど)に自分のこうすべきっていう「べき思考」をあてはめてこうすべきなんだってやってしまうと、言うまでもなく怒りや不満などがわいてくる。でも、考えてみればわたしのべきと他の人のべきは違う。ある人は男は働くべきって考えている。しかし、別のある人は男は働かなくてもいいと考えている。この二人が男は働くべきかってことで話し合ったら言うまでもなく平行線。そして、働くべきって考えている人は働かなくてもいいと考えている人にイラついたり、何でそんな甘いこと言ってるんだとプンプン怒ることだろう。わたしはここでこのどちらが正しいかをジャッジしたいわけではないし、そのつもりはさらさらない。ここで言いたいのは、人はみな自分のべきを持っていて、それに従って生きているということだ。
 このことに気付いてからわたしは他の人が自分の期待する言動を取ってくれなくてもあまりイラつかなくなった。もちろん、あまりにも道徳的にいいかげんだったり、社会常識にてらしあわせてアウトなやつに対しては今もイラつくけれど、反対意見とか言われたり、わたしの意見に賛同してくれなくても別にそれほど気にしなくなった。あぁ、いろんな意見があるのは当たり前のことで自然なことなんだ。そんな脱力な感じで物事をながめるようになってからというもの、心を乱されること自体も少なくなってきた。
 でも、ちゃんと他人にこうしてほしいというのはあるんですよ。やさしくしてほしいとか、怒らないでほしいとか、ちゃんと最低限のモラルを守ってほしいとか、あれやってほしい、これやってほしいとかっていうのは。でもね、それを押しつけるのだけはやめたの。みんな違うんだからさぁ、何でもかんでもわたしののぞむ通りには振る舞ってくれないよ。期待を裏切られること。がっかりさせられること。多くはないけれど少しはある。たまにはある。でも、それはその人とわたしとの違いでしかないんだ。違っているんだから仕方がないことなんだとわたしは譲歩するようになったんだ。
 とは言えども、譲歩しながらも「わたしはこう思う」と自分の意見は相手に伝える。でも、今のわたしの成長してきたところは(まだできない時もあるけれど)その自分の考えを相手に押しつけないところ。そこが決定的に違う。それに自分の考えの正しさで相手をやっつけようとかも思わないし(議論は一応する時もある)、その必要も感じない。ま、大人になったってことですかね(ドヤ顔。ニヤリ)
 と、うむ。あと30秒で30分だ。タイマーがもうじき鳴る。あと12秒。8、7、6と書いているうちに時間となりました。今日もお付き合いありがとう。この30分で書き上げるスタイル、気に入っております。時間過ぎてるけどあと一言。人はみんな違う。これがまとめ。以上ぉぉ。

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