みんな不安なんだなー『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ』を読み終えて

いろいろエッセイヨガ
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 NHKの朝ドラを昼に見て、しばらくしたら少子高齢化などについてタレントやNHKの解説員が話し合う番組が始まった。見ていると心が引っ張られて不安になってくる。影響されやすいということもあってか、その調子で振り回され始めたわたしだったのだ。とにかく具体的に話が進んでいく。宗教色なんかはもちろん微塵もなくて、ただただ人、モノ、カネだけが存在する唯物論的な展開である。見ているとこちらの息が詰まってくる。とは言えども、先進的な取り組みが紹介されたりはしたので、それでも希望はゼロではない。けれど、そこはかとなくみんなの不安、恐怖心、怖れが伝わってくるような番組だった。
 将来。わたしは楽観している。日本には1億2000万人もの人がいるのだから力を合わせれば何とかなるだろうくらいの認識でわたしはいる。
 で、番組を最後まで見てしまったわたし。その煽られた調子で、もう残りも少なくて読み終わりそうなヨーガ・スートラの本へと向かう。一瞬にして、静かになる。驚くほど静かになる。ああでもない、こうでもないと理屈を振り回していた番組から一転、わたしに静寂が訪れた。この本を書いている人の心が静かだからなのだろう。心地良い静けさがわたしの中に清涼感となって伝わってくる。
 突然だけれど、悟りを得て解脱している人って日本に何人くらいいるんだろう。何物にも執着せず心が静かで澄んでいて、何物にも執着しない人。あれをしたい、これをしたいなどと心を騒がせていなくて、煩悩の矢が抜けきっている人。
 わたしはそんな人に憧れている。というか、憧れいるとかなりたいとか思うこと自体が執着であって、矛盾しているわけだけど、そんな風になれたら平安なんだろうなって思う。心を騒がせてまさにドタバタ劇を演じているわたし。けれど、最近何か変わってきたような気が少しする。悟りとか解脱とかそういうレベルははるか彼方だけれど、それでも最近、心が静まってきたように自分でも思う。とそのことをみんなにこうしてブログで書いて、発表して、「すごい」とか言われたがっているのは青さそのものではあるものの、それでも静まってきた。
 今朝、瞑想していたら一瞬、一瞬ではあるけれど、波風一つない湖のような状態になったんだ。静寂というか、まさに穏やかというか、静けさが漂っていてそれはそれは無上だった。
 わたしも含めて、みんな心を騒がせすぎじゃないかって思うときがある。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、こうなるためにはこれをせねば、いやいやこれをやった方がいい、などと常にバタバタしている。
 本当に必要なこと。それはこころの平安ではないだろうか。静寂ではないだろうか。波風一つ立たないそんな静けさ。
 この本はそんな状態になるためにはどうしたらいいのか、ということが詳しく書かれている。まさに静寂とか平安のための手引きであり、教科書のような本なんだ。
 わたしはこの本を読んで、下世話な話だけれど、無駄な性的欲求がなくなった。たしかにそうした欲求があることにはあるけれど、それを静かな眼差しである程度観察できるようになったんだ。これはとても大きな収穫であったと思う。
 その他に本の中で印象に残った言葉は、「平安と欲望は両立しない」という箴言だ。たしかにそうだ。わたしは平安を得たけれど、ギラギラ欲望全開です、なんていうのは想像することもできない。平安を得るためには欲望の奴隷になっていてはだめなんだ。と言いながらもわたしはまだまだ道半ば。いわば修行中みたいなものだ。
 この本を読んで自分がいかにいろいろなことに執着していたことか気付かされた。執着、つまり欲望というものは苦しい。なぜなら、その欲望を満たすためには自分の中の大量のエネルギーを投入しなければならないし、大抵、何か欲望が満たされてもまた別の欲望が次から次へと際限なく沸き出してくるからだ。それをかなえ続けようとする生き方。それって苦しいんじゃないか。終わりなき欲望をかなえる、かなえ続けていく生き方。まさにそれは欲望の奴隷で、いつまで経ってもおそらく平安は訪れない。平安が訪れる時はいつか、と言えば、やはりそれらを手放した時なのだ。それまでは平安はやってこない。そんなことをこの本を読み終えたわたしは思う。もちろんわたしも含めた凡夫は欲望まみれだ。だから、際限のない欲望にがんじがらめにされている。でも、それをそっと少し手放してみる。それだけでも苦しさはかなり減ると思う。
 何か目標を立てて自己実現することは達成感があって喜びを伴う。けれど、それは一時的なものではないかと思うのだ。永続的な長続きする平安を手にすることはできない。欲望まみれのわたしが言っても説得力がないのは重々承知しているけれど、夢をかなえることは本当の喜びをもたらしてくれないのではないかという気がしてきたのだ。そうではなくて、肉体や心や感覚に振り回されることから卒業する。そして、本当の自分自身に目覚めるのだ。
 そのために心の働きを鎮め、本当の自分自身ではない身体や心や感覚とは距離を置くようにする。
 最近、わたしや他者も含めたこの世界は海の波のようなものなんだなって思うようになった。宇宙全体は波。押しては寄せて、そして引いていく波。現象。現れたもののすぐに消えていく、まさに波。だから、わたしにとっては全部波なんだ。森羅万象、自然も生き物も人も石ころも山も川もぜーんぶが波。現れては消えていく波。この思想を持つようになってすごく気持ちが楽になった。案ずることはないなって思うんだ。波なんだからさ。
 社会的に成功しても、名声を獲得しても、富豪になっても、どんなにうまくいっても、全部波。海の波。束の間の、波。だから、悩まなくていいんじゃないかって思うんだ。波なんだからね。空即是色、色即是空もつまりはこういうことなんじゃいかって思うんだ。つまり、波のような、あるようなないような。あることはあるんだけれど、ないと言えばないような。波って現れてはすぐに消えるからね。
 こころの平安を求めたらすごいことになってきたな。話が大きくなってきた。というわけで、これからヨガをやろうかなって思う。静かでありたい。

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