おしまい?

いろいろエッセイ
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 終わりなのかもしれない。って急に何が終わりなの? この世界が終わりなのかもしれないとわたしは思うのだ。現在、2023年1月14日。見当識は保てているわたし。けれど、何やら終わってしまいそうな、そんな気配がして仕方がないのだ。
 調子が悪い。またもや、パソコンを2時間あまりやってしまったがために不調に陥っている。苦しい。何が苦しいかと言うと、自分自身が朽ち果てていってしまうようで、そしてそれはアンチエイジングごときでは阻止できそうもなくて、ただただ時間の流れ方が変わってしまうのだ。
 不調に陥るとこわくなる。こわくなってくる。ちゃんと明日も生きているだろうかって心配になってくる。
 自分の呼吸を感じてみる。やっぱり浅く速くなっていて、いわば戦闘態勢みたいになってしまっている。
 死にたくない!! 明日もしっかりと生きていたい。そのために今のわたしができることって何だろう? 自分でできることなんて微力でしかないけれど、できることがあるとしたら何だろう? 深呼吸をする。深く息を吸って、大きく吐き出す。それくらい? それくらいなのかもしれない。
 弱気になってますけど(これは弱気になってるな、完全に)、言葉には言霊と言ってしっかりとした力があるんだ。だから、投げやりな言葉とか、ネガティブな言葉は吐くもんじゃない。実際、その言葉の通りになってしまうよ。じゃあ、どんな言葉を発したらいいのだろう?

 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6:34)

 明日のことまで思い悩んでもたしかに仕方がない。明日はまだ来ていないのだし、あるのは、来ているのは今この時でしかないからだ。わたしがやっていたのは、まだ来ていない未来を先取りしていたことだった。不安とかこわいという感情はたしかに今に集中できていない。今に集中できていたら、とにもかくにも今があるだけであって、そうした不安に陥っている暇はない。
 人生は音楽なのかもしれない、と考えてみたりする。音楽というものは基本的にノンストップだ。止まることなく演奏している間は奏で続けられる。
 とやっとここまでで900文字あまり。執筆は一向に捗らず難航中。
 時間は無情にも過ぎていく。過ぎ去っていく。そうこうしてわたしは歳を取っていき、朽ち果てていつかは死ぬ。でも、死んだらそれからは永遠の命がわたしを待っている。だから案ずることはない。死んで終わりではないのだ。そこからまた生まれ変わるのか、そこんところはわたしには分からないけれど、きっと何とかなる。何とかなっていく。きっとね。
 わたしは生きたい。生きていきたい。だから、神様。どうかお迎えに来ないでくださいね。もう少し、あと60年くらいはこの生を満喫させてください。
 それにしても今日も疲れた。休みたいと思う。しばしの休息を与え給え。

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