持続可能な生活

 わたしは1冊のメモ帳を常にボールペンと共に携帯していて、自分が何時から何時まで何をしたとか、何時に起きて何時に寝たとか、それからその時書きたいなと思うことがあれば書いたりもしている。そんなメモ帳に昨日(1月7日)午後7時40分に綴った文章があるので、ここに引用することにしたい。

 19:40
 去年の年の暮れから1月3日までは本当に多忙だった。お料理もたくさん作っていたし、勉強だって4時間を超えて5時間くらいやることも珍しくなかった。わたしは言うまでもなく無理をしていたんだ。疲労困憊に、クタクタになるまでやっていたんだ。
 でも今思うと生活を充実させようとして、自分の馬力以上のことをやってしまっていたんだな。それから睡眠もおろそかになっていた。4時間、5時間の日も結構あった。
 人生をキラキラ、リア充させようとしすぎて無理をする。で、体調不良。まさに本末転倒。
 毎日の生活っていうのは持続可能な程度にしておかなければ必ずいつかガタが来てダウンしてしまう。
 持続可能なペースの生活を送る。これ、すごく大事だな。人生は持久走なんだ。死ぬまで走り続ける営みなんだ。だから途中無理をして飛ばせば走れなくなってしまう。
 人生80年ならほぼ中間地点。人生100年ならまだ2/5。時間はある。まだ十分ある。
 続けていけるようなペースを保つ。生活を充実させていきたいけれど、今日はこれをやったから他のこれは無しにする、くらいでいいんじゃないか。
 バテちゃったら(それで病気なんかになったら)やっぱりしょうがないからな。あれも、これも、どれもみんなやるなんて無理だし、そもそもその必要なんてない。バテて体調崩したら苦しいのは自分だし、不本意なのも自分なんだから。
 完璧主義を手放す。いっぺんに全部をやりおおせようとしない。何かやったら別の何かはお休みくらいが無理がなくていい。そして疲れてきたらその日の日課が途中でも手放して積極的に休息する。スパっとやめるようにする。
 無理なく持続可能な生活を。コロナになって本当いいことに気付かせてもらえた。神様、ありがとう。

 つまり、持続可能な生活。今までのわたしは何かをやると面白かったり、楽しかったり、充実したりするものだからつい無理をしてガーっと詰め込んでやってしまう。で、次の日、朝からお疲れモードで結局その日は使い物にならない。結構疲れていて、もう限界近くまで来ているんだけれど、やれないことはない。どうしようか? となると決まってわたしは残りのラストスパートを気取って1時間くらい活動を追加するのだ。
 ってこのことに気付いたのが遅すぎるのかもしれないなとも思う。うむ、自己洞察、自己観察ができておりませんな。
 と、そんな自分をジャッジすることはとりあえず置いておいて、今までのわたしはほとんど今の輝きとか生の充実ばかりを掲げてしまっていて、果たしてそれを続けていけるのかどうか、という視点が欠落していたのだ。
 続ける。続けられるペース。だから、自分自身に問わなければならない。「今、あなたがやっている活動のペースで長期的にやっていけるの?」ってね。そう考えると今までのわたしは長距離走なのに、そこで一時的に短距離走みたいな走り方をしてしまっていた。で、決まってすぐにバテる。そして、休憩に結構多くの時間を割いていた。休憩そのものが無駄とか意味がないとかそういうことではなくて、長い休憩を入れなければやっていけないほどの飛ばし方はかえって能率が悪いのだ。それだったら5割とか6割程度の量でいいから着実に毎日やっていけた方がゴールには近付いていけるのだ。
 今回、わたしがコロナになってしまったのはウイルスをもらってきてしまったこともあったけれど、それ以上に疲労がたまっていて免疫力が低下していたことが大きかったのではないかと思う。そして、結果的に母もコロナに感染させてしまい、迷惑をかけてしまった。自分がコロナになるのならまだいい。それは自分の責任だからだ。でも、大切な自分の家族にまでその被害が及んでしまうと、何だかいたたまれないし、とても申し訳ない。
 もしも話をすることに意義はないかもしれないけれど、もしもわたしが持続可能な生活を送ることの必要性にはやく気付いていたら今回コロナに感染しなかったんじゃないかっていう気がする。もちろん、祖父のことで病院に頻繁に行き、そして亡くなって葬儀の準備をしたりと、忙しいことは忙しかった。でも、もっとしっかり休息を取れていたらコロナには感染しなかったんじゃないか。そんなことをふいに思ってしまうのだ。
 どんなことでも「継続は力なり」と言うようにいかに続けていけるかなのだ。お笑い芸人で言うなら、一発屋ではなくて長期的に安定した仕事があるような芸人。花火であってはならない。花火じゃダメなんだ。花火じゃなくていつもそこに光り輝いているような星でなければならない。だからこそ、そのためにこそ、続けていける、持続可能かどうかということが問われるのだ。学者さんでも若手には若手の良さがあるけれど、それ以上に長年取り組んできて老境に達したベテランの学者さんの発する言葉には本当に深いものがある。だから、続けていかなければと、続けていけてこそなのだと思う。
 少し無理をして飛ばしてもその飛ばした分なんてたかが知れている。そういう稼ぎ方をするのではなくて、長い期間で地道に積み重ねていく。その方が質的にも量的にもいいものが積み上がっていくのではないかと思う。
 地球も勉強も生き方も持続可能な方がいい。いや、持続可能でなかったら力つきて折れてしまい立ち行かなくなる。本当、いいことに気付かせてもらえたわたしなのだ。
 地道に、コツコツやっていく。けれど、無理はしないで続けられるペースでやっていく。それが結果的にゴールへ向かう最短の取り組み方じゃないかな。
 要するにぼちぼちいきましょう、ってことだな。ぼちぼちはまさに持続可能な生き方そのものだからね。

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