加持さんがスイカに水をあげたように

いろいろエッセイ
この記事は約5分で読めます。

 わたしはもうなかば諦めている。何をかと言うと、日本が場合によっては戦争へと巻き込まれてしまうのではないか、ということをだ。
 などと政治的な発言は基本的にこのブログではしてこなかったわたしだけれど、今回ばかりは何だか重い空気がわたしに、そしてこの国にまとわりついている。
 未来はどうなるのだろう。どうなっていくのだろう。ま、なるようにしかなっていかないことは分かっている。けれど、不安になってくる。
 わたしは戦争を知らない。祖父母の世代は太平洋戦争の経験があるものの、それから平和な時代が続き、わたしは戦争というものを体験したことがない。とは言いつつも、国語の教科書にのっていた断片的な戦争中の物語はあった。でも、それはあくまでも想像を喚起させるだけのものでしかなく、実際の経験には到底及ばない。
 暗い話ばかりになってしまい読んでいて楽しくないかもしれない。しかし、実際こういったことを考えるのは楽しくないものだ。それは重々承知の上。
 楽しいことばかり考えていればいいと以前のわたしは思っていた。そして、こういった問題から距離を置いて、自分の精神を安定させることを第一としてきた。けれど、防衛のことに関心を持つようになり、そういったことを学んでいく中で、無関心というものの恐ろしさをわたしは痛感し始めている。
 しかしながら関心を持って、何か平和運動的なものに関わって声をあげたところで、それが一体何になるのか。そういった声は弱くて力がなくて、権力の前でいとも簡単に鎮圧されてかき消されてきたではないか。何もわたしはそういった運動をしている人たちを否定したいわけではない。そうではなくて、何というか一体どうしたらいいのだろう、と途方に暮れているのだ。
 途方に暮れながらわたしは諦めている。投票に行っても何にもこの社会は変わらない。わたしが入れたかけがえのない一票は無効票ではないものの、多くの人たちと意見を同じくしていなかったということで破棄されて踏みにじられる。社会を変えたかったら投票へ行きなさい、と訳知り顔で頭のいい人は言う。でも、変わらないじゃないか。わたしの意見は多数ではないということで平気で無視される。
 日本が戦争になったら誰が責任を取ってくれるのだろうか。政治家はおそらく責任を取らないし、絶対に取れない。となると結局、責任はわたしたちのところへと戻ってくる。わたしたちが悪いのだ。わたしたちがそれを希望して、その結果、戦争になってしまったのだから。
 わたしは悲観している。そして、この国の未来について希望が持てない。でも、もしかしたらこのまま、パワーバランスを保って日本が戦争に巻き込まれないかもしれない、と明るく努めてみようとも思ったりする。未来のことは分からない。
 もしも日本が戦争になったらそれは1億2000万人が一斉にピンチに立たされることを意味する。何もわたし一人だけが戦争になるわけではないのだ。みんなが困る。みんなが大変な思いをする。みんな、揃いに揃って戦争に突入なのだ。
 だから、もう戦争になったらなったで仕方がないとわたしは諦めているのだ。わたしにできることはと言えば、このしがないブログで反戦とか平和を声高に叫び続けることくらいだろうか。でも、その影響力たるやほとんど無いようなもので、本当、自分の無力さ加減にほとほと嫌気がさす。わたしが叫んでもたかが知れているし、やっぱりいつものごとく無視されて捨てて置かれるだけなのだ。
 どこかの国が弾道ミサイルを日本に撃ったら、その途端、平和な日々は終わりを告げる。おそらくそうなったら日本は反撃するだろう。そうするとまた撃ってきた国からさらに反撃が来るだろう。で、結局戦争に突入する。同盟しているアメリカもその国にやり返す。で、そのミサイルを撃ってきた国とまた仲の良い国が絡んできて攻めてくる。事態は泥沼になり、それがもつれにもつれて第三次世界大戦?
 それかもう日本が反撃できないくらいに核弾頭を搭載したミサイルを何十発も撃たれたとしたら、地球がなくなってしまうか、そこまでいかなくても壊滅状態だろうね。で、アメリカも核を搭載したミサイルを敵国に打ち込む。で、みんな滅びました。滅亡しました。チャンチャンってね。
 何で日本にどこかの国が攻めてこないかと言えば、アメリカの核に守られているからだと思う。日本を攻撃すればアメリカからの核の反撃をモロに食らう。だから、手出しができない。そうしたパワーバランスが保たれているからこそ、日本はこうして今まで戦争もなくやってこれたんじゃないか。これはあくまでも私見だけれど、一般論と言ってもいいんじゃないかな。
 ポカポカ系クリスチャンの星と自称していながら今回はかなり暗い話を書いてしまった。やっぱり、こういう話をしている時っていうのはポカポカしていない。おそれにとらわれていて、ビクビクして疑心暗鬼になっている。いつ、どこぞの国が攻めてくるんだ? 弾道ミサイル撃ってくるんだ?ってビクビクしてる。
 こうした脅威を、恐怖心を手放すのって本当難しいなぁってつくづく思う。手放す。おそれを、不安を。
 というか弾道ミサイル撃たれちゃったら仕方がないじゃないの。だって、ベストを尽くした結果がそれなんだからさ。それだったらんだからさ。撃たれないようにとりあえず最善を尽くす。で、あとはもう神様に委ねるしかないよ。で、撃たれたら撃たれたでその事実は変わらないんだから、その時その時、出たとこ勝負でやっていくしかない。撃たれないようにしてそれで撃たれたらま、その時はその時なのだ。撃たれちゃったもんは撃たれちゃったんだからさ。
 急に別人が書いたように文章のトーンが変わって驚かれていることかと思いますけど、わたしはこう思うのです。弾道ミサイル撃たれたら、その時はその時。なるようにしかならないさ、と思うわけです。
 諦めていると冒頭に書いたけれど、それでもやれることはある。おそらくわたしのような無名の人間の言うことなんて影響力ないし、誰も聞いてくださらないでしょう。でも、いいのです。無力な者は無力な者としてぼちぼち自分の毎日の生活を送っていきますから。で、やれることをやっていく。何を?、と聞かれても困るのだけれど、当たり前の生活を当たり前に送っていくのです。それしかないような、いや、それだけでもすごいのかもって思いたい。平和な現在を、今という時を大切にていねいに味わいながら生活していく。
 星の言っていること、実にありきたりというか、国家の一大事を論じながらそんな呑気なこと言っていていいのか、って思うかもしれないけれど、新世紀エヴァンゲリオンで加持さんが自分にはスイカを育てることしかできない、とドンパチのど真ん中で言ったようなあの矜持で行けたらなと思う。使徒(人類の敵)とエヴァが戦っているその渦中でスイカに水をあげていた加持さん。戦争が迫ってきて身の危険すら感じても、野菜に水をやる。ルターも言ったように、世界が明日で終わりだとしてもリンゴの木に水をやる。そんな風に生きていけたらと思う星なのだ。
 非常事態であればあるだけスイカに水をやるその行為は意味を持つ。加持さん、深いなぁ。

PAGE TOP