おは、おは、おはようございます。

いろいろエッセイ吃音エッセイ
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「おは、おは、おはようございます。」
 小学生たちがびっくりした顔をしている。中には、足を止めてわたしのことを見ている子もいる。
 これは、今朝の出来事で時刻は午前7時20分頃のこと。珍しく乗り気になったわたしは7時頃朝散歩に出掛けたのだ。で、その帰りに朝の集団登校中の小学生たちに会って、わたしが発した挨拶の言葉。
 小学生たちがびっくりするのも無理はない。「吃音(きつおん)」というワードや概念を知らなかったらきっと「何でこの人はおは、おはって二回も繰り返すんだろう。おはようって言えばいいだけなのに」と思うだろうからだ。おそらく彼らの身近には吃音の人がいないのではないか。そんなことも今、想像してみたりする。
 でも、だからこそ、そうであればあるほどわたしのどもりには意味がある。小学生たちに実地教育を施しているのだ、などと偉そうに言うまでもなく、少なくともあの子たちにとって今日の出来事は不思議に思ったり、怪訝な感じがしたり、ともかく感動はあったはずだ。感動というのは心が動かされることだから、少なくとも1ミリは何か感じることがあったんじゃないかなぁ。
 嬉しかったこと、というかわたしにとって救いだったのは、そんなどもりまくりのわたしの挨拶に対して7~8割の子がちゃんと「おはようございます」と返してくれたことだ。不審者とか、変な人、怖い人ではなくて、ちゃんと一人の人として接してくれた。それが何よりも嬉しかった。
 挨拶ってね、わたしはできる限りするように心がけてはいるんだけれど無視されることだってあるんだ。こちらが挨拶をしても、道で遊んでいる小学生に無視されたり、おじさんに無視されたり、おじいさんに無視されたり、などと挨拶を返してもらえないとちょっと気がささくれるんだ。へこむまではいかないけれど、何だか心が晴れない。でも、そういう挨拶を返せない人にはきっと彼らなりの事情があるのだろうと心を大きく持つようにしているんだ。
 挨拶を返してくれないのって中高年の男性が多いな。大抵の人はこちらが挨拶すると返してくれるけれど、たまに無視されるのって大体おじさんなんだ。知り合いでもない若造に挨拶など返す必要がないなどと思っているのか、それとも何か心に問題を抱えていて挨拶を返せるような状況ではないのか、それは分からない。でも、おじさんの無視率が一番高い(星調べ)。
 とまぁ、ちょっと挨拶論っぽくなってしまったけれど、それはともかくとして、わたしは挨拶が苦手なのだ。どうして苦手かと言えば吃音だからだ。わたしの場合、話しにくくて吃音の症状が出る時は大方決まっていて、その中でも歩きながらすれ違いざまに声を掛けるというのがすごくハードルが高いのだ。わたしの吃音がほとんど出ない時というのは、相手とある程度の距離で向かい合っていて、アイコンタクトがしっかり取れていて、何かをやりながらだったり、相手が急いでいるような空気を出していない時なんだ。そういう時であれば100%は無理だとしてもかなりどもることが減って話しやすい。だから、すれ違いざまの挨拶というのはさきの条件をほぼすべて満たしていないことからも分かるように、わたしにとっては厳しい状況なのだ。実際、朝散歩で挨拶をする時にはどもる。で、どうしたかと言えば、こちらが一時的に足を止めて挨拶するようにしてみたんだ。そうすると、かなり吃音の症状が軽減されることが分かった。一瞬でもいい。こちらが2秒か3秒くらい足を止める。これだったら不自然ではないし、違和感もないだろう。
 足を止めるという秘策を編み出したものの、それでもやっぱりすれ違いざまの挨拶はわたしにとって難易度が高い。でも、だからこそ、だからこそ、どもってもいいから果敢にチャレンジして挨拶するのだ。それは挨拶を交わせた時の喜びの方が吃音が出てしまうことの葛藤よりも勝っているからとも言える。
 わたしが小学生に挨拶した理由。それは彼らと心を一瞬であっても通わせたいという切なる思いと、わたしの吃音を彼らに曲がりなりにも知ってもらいたいという、この2つの思いからなる。
 吃音者はもっと世間や社会にアピールしてもいいんじゃないか。少なくとも、どもる自分の姿を知ってもらう必要があるんじゃないか。そして、社会や世間にそうした自分たちの姿をそのまま見せていくことで、吃音というものを隠されたものではなくて周知のありふれたものへと変えていく。その運動(?)の一つとしてわたしは小学生に自らの吃音を晒しているのだ。そうすることによって、彼らの頭の片隅にそういえばあの変わったお兄さんとして記憶される。そして、大きくなってわたしのことをぼんやりと思い出してもらえれば本望だ。こうした活動は何ら意味をなさないのかもしれない。でも、無駄ではない。きっと無駄ではない。
 そういうわけで、「おは、おは、おはようございます」のお兄さん(年齢的にはおじさんだけれど)は今日も苦手な挨拶を悪戦苦闘しながらも続けているのだった。わたしの挨拶がこの世界を1ミリでも良くできていたらいいなぁ。

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