勉強法もライフスタイルも自分に合うものが一番

いろいろエッセイアーユルヴェーダ
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 わたしは時々、焦ってしまうことがある。自分の勉強が思い通りに進まない時や、進んでいても自分がとても無力に思えてしまうような時に焦ってしまうのだ。このままこれを続けていていいのだろうか、と思ってしまう。まだ一週間とか10日くらいしか勉強していないのに、その勉強の意義や方向性について考えてしまうのだ。
 前にも書いたけれど、わたしはどうしても勉強というものに即効性やコスパ(コストパフォーマンス。費用対効果のこと)を求めてしまって、腰を落ち着けて何かをじっくりと学ぶということが苦手のようなのだ。石の上にも三年、というように、何かを数日かそこらで極めるというのは無理な話だ。どうしてもその分野に精通するためには年単位の時間がかかる。が、気が短いわたしはそれに耐えられないのだ。すぐ分かって、すぐ効果が出て、すぐものになる。そんなものを求めてしまう。
 その結果、勉強そのものが聞きかじった感じになってしまったり、浅はかでしかなかったり、深みのような円熟味が出てこないのだ。長年、何かに取り組む。たとえそれが亀のようにゆっくりな歩みだったとしても、うさぎが駆け足でぴょんぴょん来たのとは違うのだろう。わたしはもちろん、亀のようにじっくりと何かに取り組むことの重要性は分かっているつもりだ。けれど、どうしてもうさぎのようにすぐにゴールにたどり着きたくなってしまう。最短手順で、最小の労力でゴールにたどり着きたくなってしまう。こういう輩はどうしたらいいのだろうか。
 そんな感じのわたしだから結構勉強法の本はかじってきた。そして、それを実行してみて思ったような結果が出ないことが多かった。たしかにそれぞれの勉強法の理屈は一本線が通っていて、その通りにやれば何だか成功できそうな、そんな気持ちになれる。が、何やら続かない。これをやるべし、ってみんな言うんだけれど、どうもそれが合わないことが多い。
 わたしがぼちぼち気長にやっているアーユルヴェーダ。それに勉強法にしろ、生き方にしろ答えがあった。それは一人ひとり違うということだ。みんな生まれ持った体質も違えば、育ってきた環境、受けてきた教育、人間関係すべてが違う。すべてが一人ひとり違って個性的でユニークな存在。それを無視して、こうなりたいならこうすべし、これを絶対やるべきだ、というのは乱暴な話なのではないか。それはその人に合った、それもたまたまその人に合った方法であって万人に合うかどうかなんて、やってみなければ、試してみなければ分かるわけがない。
 もちろん、多くの人に有効な方法というものはあることにはある。しかし、そうしたものであってもすべての人にとって有益な方法ではないし、そんな方法はないと思う。多くの人に有益であっても、漏れてしまう人は必ずいる。
 ということは、有名な教授がすすめているとか、有名なタレントや芸能人がすすめているとか、そういったこともある程度参考にはしながらも、その方法を自分自身で試してみて、自分に合うかどうかを試行錯誤していくしかない、ということではないかと思う。アーユルヴェーダでは体質別にこうするのがいいと思いますよ、とは指針を示してくれはするけれど、それだって大まかな指針であって、細かいところは自分で試してやっていくしかないのだ。それに大きな枠であったとしても、それが自分に合わないということももしかしたらあるかもしれない。そんな時には柔軟に考えて、合わないことを無理に自分に押しつけることはせず、自分の体と心の声を聞くことを第一にしてそれに従ってやっていきましょう、と教えるのだ。
 ○○さんが使っている石鹸が自分にも合うかどうか。それは使ってみなければ分からない。同じように勉強法にしろ、生活習慣にしろ、それは自分自身実際にやってみて試行錯誤しながら取捨選択していくしかないのだ。
 誰かものすごく成果を出していたり、キラキラ輝いている人がいると、その秘訣は何ですか、と聞きたくなって真似をしたくなってくる。その真似に意味がないことはないし、結構それでその成功の道へと導かれることもあるかもしれない。が、それすらも自分でやってみて合うかどうか試してみなければ、自分にとって有益かどうかというのは分からないのだ。
 ここまで書いてきて、そうか、人がやっている通りにやらなくても、わたしはわたしでその人はその人なんだから気にしなくていいんだなっていうことが見えてきた。ある人が毎日10時間勉強していて、それでその人が本当に満たされていて幸福で申し分ないのであれば、その人にとってはその方法(というかそうしたライフスタイル)が合っているのだろう。でも、同じように自分も10時間勉強しないと同じような幸福が手に入らないかと言えばそれは違うと思う。自分の体力では10時間どころか3時間やるのも大変で、3時間であってもきつくて幸福感を損なうのであれば、もっと勉強時間を減らしてもいいし、勉強自体やりたくないのであれば、勉強なんかしないでお料理をしたり、音楽を聞いたりその他の自分がやりたいことに時間をあてる、でいいんじゃないか。本を読んだり勉強したりするのは偉いのかもしれないけれど、それをやらないからといってその人がダメかと言えばそんなことはない。たとえこの10年、読書は1ページたりともしていなくても、余暇のすべての時間を好きな音楽を聞くことにだけ費やして、それでとてもハッピーだったら別にそれでいいんじゃないの、っていう話だ。人はそれぞれ幸福を感じることが違うし、その個人個人のユニークなあり方を大切にしていけたら、それこそ幸せになっていけるんじゃないかなぁって今、この文章を書きながら思う。
 というわけで、勉強法もライフスタイルも自分に合うものが一番。凡庸な結論だけれど、これが今のわたしの結論。人がやっているから、とか、この方法で何が何でもやるんだじゃなくて、自分に合った方法を。それが一番いいとわたしは思うなぁ。

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