Yは困っている人なのだろう

いろいろエッセイ
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 さっきまでわたしはアティテューディナル・ヒーリングの本を読んでいた。『怖れを手放す』という本なのだけれど、何もこの本を皆様に勧めたいとかそういうことではないんだ。そうではなくて、もうこの本、読むの4回目か5回目くらいだけど、はっとしたんだ。そのことについてあまり長くならないように自制しながら書いていきたいと思う。
 わたしはYのブログを読んで自分が攻撃されたと思った。だから、生物が攻撃された時の本能的な反応である反撃か逃走か、のうちの反撃のほうを選んだ。そのことは、昨日アップした記事を読んでもらえば分かることだろう。
 わたしがはっとしたのは、「怒っている人というのは困っている人だ」という本のくだりでYはわたしを批判しながら敵意と怒りを向けている。つまり、だ。わたしが攻撃されたのではなくて、Yがただ単に困っていただけなのだ。何だ、そういうことかと一気に腑に落ちたわたし。
 Yが困っているだろうことはいくつかあると思う。
 ①仕事がきつくてやめたいと思うこともあるだろうこと。
 ②自分が必死で苦しくて大変な思いをして働いているのに、その一方で星という仕事もしていないくせに悠々自適な生活を送って、幸せそうな人間がいることが許せなく思ってこころが平和でなくなっているだろうこと(楽しておいしい思いをしている幸せな人間が許せない)。
 ③星に仕事をすることの意義や価値を否定されているようで、そのことが許せなくてこころが平和でなくなっているだろうこと。
 ④星に自分の人生(ならびに思想や生き方)を否定されているようで、そのことが許せなくてこころが平和でなくなっているだろうこと。
 ⑤(これは想像だけれど)母親と楽しそうに暮らしている星に嫉妬していて、こころが平和でなくなっているだろうこと。
 つまり、Yはわたしのことをずるいと思っている。働きもしないくせに幸せそうなわたしが面白くないのだ。もしもYが本当に心身共に完全に幸福感に包まれていて、「何てわたしは幸せなんだろう」と思えていたら、こんなにわたしにつっかかってこないだろうし、むしろわたしの幸福を手放しで祝福してくれるはずだ。それがそうなっていないのは、やはり現状、つまり今の生活とか人間関係とかその他もろもろの境遇に不満があるからなのだろう。鬱積した不平・不満があるのだ。
 だから、Yはアティテューディナル・ヒーリング的な解釈をするなら、困っているのだからわたしが反撃しても事態がよけいこじれるばかりで、一向に良くはならないだろう。わたしがYにできることはたかが知れていてわずかかもしれないけれど、反撃したり攻撃することではないのは明らかだ。
「Yさん、あなたは大変なんでしょう。苦しいんでしょう。つらいんでしょう。星という存在が許せなくて仕方ないんでしょう。幸せそうな星が頭にきてどうしようもないんでしょう。大変ですね。不平不満がおありなんですね。本当、困っておられるのですね。わたしにできることは皆無かと思いますが、何かあったら言ってくださいね」とまで寄り添うかどうかは別としてもこうした対応が必要だったのだ(他には、見守ったり、様子を見るという姿勢をとることもできる)。それを星ときたら反撃してしまった。あなたが大変で困っているのにわたしは攻撃をしてしまった。申し訳ない。すみません。お詫び申し上げます。あなたの幸福を神様にお祈りしたいと思います。平安がありますように。アーメン。

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