心の平和を求めています

いろいろエッセイ
この記事は約3分で読めます。

 今朝、4時に起きた。そして、それからシャワーを浴びて5時半。ヨガをやろう。そう思ってテレビをつけたら、テレビに心を持って行かれてそのままヨガもやらずに1時間半もダラダラと見てしまった。
 気持ちが下がる。テンションが下がる。やる気が下がる。何というか「さぁやっていくぞ~!!」みたいな元気が内側から起こってこない。ただあるのは倦怠感と無気力感へとつながっていくような気分だけ。調子が悪い、とまでは行かない。けれど、何か元気が出ない。で、それから気を取り直してヨガをやったものの、どこか集中することができないまま終了。へこんだ停滞している気持ちがどうも元には戻らない。
 テレビを1時間半も見るとわたしはどうなるかと言えば、何かにつけ物事に対して批判的になる。一言で言うなら、ネガティブになるのだ。思考がどんよりと厚い雲に覆われていて頭も冴えない。今、この文章を書いているわけだけれど、いつもの冴えはどこへやらといった感じで、冴えないんだなぁ。
 今、気持ちを盛り返そうとブルーハーツを聴いている。けれど、これは少し元気すぎるようで今一つ合わない。でも、だんだん元気になってきたぞ。
 みんな平安を求めている。幸福、幸せと言い換えてもいいかもしれない。そして、それが手には入らなくてあがいてあがいてあがくんだ。で、わたしはと言えば、ようやく平安がどういうものか見えてきたような気がする。自分がぽかぽかとあたたかい心でいること。いられること。それが平安なんだろうと思う。そこにクリスチャンなら神様と共にとくるのだろう。
 最近わたしはアティテューディナル・ヒーリングの本を読むようになった。精神科医の水島広子さんが日本に紹介したもので、わたしはその考え方にふれてみて、ものすごく癒しを得ることができたんだ。一言で言えば、このヒーリングはやさしい。こうすべきとか、こうしなさいとか言うことはほとんどしないで、「やってみたらどうですか」みたいなスタンスだからだ。これは心の平和を目的としているもので、どうすれば自分が心穏やかに平和でいることができるのか、という方法を教えてくれるのだ。ここで詳細を述べてもいいのだけれど、それは少しばかり荷が重いのでまたの機会にするとして、そういったものがあるということだけ知っていてもらえたらと思う。
 アティテューディナル・ヒーリングを生活に取り入れ始めて数週間といったわたし。これを実践してみて変わったことがあるのでご報告したい。
 何かまわりの人たちがわたしに優しくしてくれるようになったのだ。教会へ行った時にこれを実践しているのだけれど、次から次へと小さな奇跡が起こるのだ。まわりのわたしへの対応がとてもソフトになり、優しくなった。それは母が言うには、わたしがおだやかになったからではないか、とのこと。まわりの人たちを変えようなんて1ミリも思わないのがアティテューディナル・ヒーリングの流儀だから、わたし自身が変わったっていうことなのかな。
 わたしは今、心の平和、つまり平安を求めている。そして、それはわたしに与えられつつある。だから、自分でそれをテレビを長時間見たり、パソコンやポルノなどで台無しにするのはもったいないのだ。そうではなくて、心の平和を目指したい。そして、毎日をすがすがしく生きていけたらと思う。怖れを手放して愛に生きる。そんな風にやっていけたらいいな。そのためのアティテューディナル・ヒーリング。しなやかに生きていきたい。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
↑ポチっと投票よろしくお願いします。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました