あっちへふらふら、こっちへふらふら

いろいろエッセイ
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 人生は短いのかな? それとも退屈極まりないほどに長いのだろうか。長いか、短いか。このことを議論してもらちが明かないだろう。そもそも、長いとか短いという観念自体が何か基準を作らなければ言えないことだからだ。人間の一生という時間は、モンシロチョウに比べれば長いけれど、宇宙の時間の流れにおいては短いとも言い難いほどの瞬間でしかない。
 でも、長いか、短いか。それはどうだっていい。それよりも、このわたしに与えられた時間をどう使ってどう過ごしていくかというのがわたしの今のテーマなのだ。わたしの青年期がいつ終わるかはわからないものの、このテーマに対して「わたしはこうして生きていきます。このことに自分の多くの時間を割いていきます」と言えるようになった時が青年期を卒業して次のステージへと行くことではないかと思うのだ。あるいは一生、何をやるべか、みたいな感じで永遠の青年のまま老人になり、結局自分が何をやりたいのか分からないまま終わるという可能性だってある。でも、見つからなかったものは見つからなかったのだから仕方がない。それに何が何でも人生の目的をこの生涯において見つけなければならない、ということでもない。見つかればそりゃあいいけれど、見つからない可能性だって十分ある。
 こういうことを言うからには星にはやりたいことが何もないのかね、と思われたかもしれない。けれど、やりたいことが何もないわけではない。やりたいことはある。一応、ある。今やりたいことはたしかにあって、それをやっている。しかし、それらに何か一貫性がないというか、方向性のようなものが見えてこないのだ。わたしは飽きっぽい人間だと思う。次から次にやりたいことが移り変わっていく。まるでそれはいろいろな花を移り気に訪れるちょうちょのようで、どれか一つの花にかじりついて、しがみついて離れないぞ、という感じではない。とにかくいわば浮気性であれもいい、これもいいとあっちらこっちら、ふらふらしているのだ。
 でも、今の段階から、それもほとんど何もできていないような段階から、これ一本でいく!、みたいに絞ってしまうのも何だかつまらないように思えてならない。それにわたしにはどうやらいろいろなものをつまみ食いするくらいが性に合っているらしく、ふらふら、ふらふらとやっているのが楽しかったりする。と言いつつも少し前に亡くなられた立花隆さんほどの好奇心もなく、ある程度やるとすぐにお腹いっぱいになってしまう。まぁ、普通の平凡な青年ですよ。人に誇るものなんて、キリスト教の洗礼以外に特にこれといってないのですから。
 とここで備忘録的な意味合いも兼ねて最近のわたしの関心があることについて記しておきたい。列記すると、アーユルヴェーダ、防衛、宇宙、アティテューディナル・ヒーリング、聖書、ヘブライ語といったところだろうか。どれも中途半端にしか学べていないけれど、やっているとそれなりに楽しい。特に最近印象的だったのが、防衛の本を読んだ後に宇宙の本を読むと、人間って小さな地球の狭い陸地を争って取り合っていて何だか滑稽だなとか思えてくるんだ。地球人同士仲良くできないもんかねぇとか。それに自分の悩みにしても宇宙という何万光年とか何億光年とか、そういったスケールの前では、悩みは悩みとしてあるんだけれど、とてもちっぽけだなって思えてきたりする。それとか、アーユルヴェーダではこの宇宙は何種類からのエネルギーから成り立っていて、天体からもわたしたちは影響を受けているんだとかいう話が宇宙の勉強をしていて天体のこともかじっているものだから親近感があったり、といろいろな学びがリンクしていくのがとても面白い。本当の意味での学びとは他分野が自分の中で有機的につながっていくような体験なんだろうなって思う。
 つまみ食いが好きな星さん。だから、学ぶ分野が全部中途半端なレベルのままで、次々に別のことへと移っていく。でも、何かを極めるのって大変なわけですよ。一つの分野でもマスターになるには下手すると一生それだけやっている感じになるし、分野によっては生涯かけても学びきれないものだってあるんだ。だから、何をどのように学ぶのかっていうのも大事かもしれないなって思う。何を学んで何を学ばないのか。ってそれほど学問をしている人間ではありませんが、それでもわたしにはあと40年から長くて60年くらいしかないのだ。その有限な時間の中で何を学ぶかって今では決めることができないけれど、まぁ行き当たりばったりで行くしかないのかもなという気もする。だって、学びたいことはその時、その時によって変わっていくし流動的なものだから、今からこれだけやるんだって決めてしまうのもその時その時のわたしのやりたいことではないんじゃないの、てなわけだからだ。
 しかし、それにしてもいろいろな食べ物があるように、学びにもいろいろな分野があってどれもわたしに「こっちへおいでよ」と誘っているように思える。全部誘いに応じていたらいくつ体があっても足りませ~ん、なわけだけれど、まぁドカ食いはあんまりしないでつまみ食い程度だから気の向くままにあっちへふらふら、こっちへふらふらだな。で、おいしいのがあったらそれをしばらく食べ続ける。で、飽きたらまた別のところへ。ってそんなんでいいんかい? それだといつまで経っても何かの専門家にはなれないぞ。なれないならなれなくてもいい。ただわたしは気の向くまま花から花へと無責任にその時の気分次第で移っていくだけなんだから。
 というわけで、わたしの頭の中は中途半端な聞きかじったような知識でいっぱいになっていることがお分かりだろうと思う。専門家になるのもいいかなと思いつつも、何か一つに絞らないでやっていきたい。それがわたしの正直な思いなのだ。だったらその思いを自分で育みながらやっていくのみ。そういうわけで星さんは中途半端に中途半端なまま、中途半端な人間としてこれまた中途半端に飛び回っているのだ。わたしは学びにおいてどこかに腰を据える日がやってくるのだろうか。
 まぁ、ちょうちょのようにわたしの寿命は短いのだから花から花へとおいしい蜜を求めて、あっちへふらふら、こっちへふらふらと飛び回っていきたいと思う次第であります。そして、文章という果実を残していけたらいいな。それがわたしが今できることじゃないかな。くれぐれも、卵は産みませんからね。人間ですから。くれぐれも。卵は産みません。オスだしね。

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