人のために何かをするということ

いろいろエッセイ
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 全部自分で独り占め。自分のお金、労力は全部自分のためにめいいっぱい使う。自分のため。人のために何かをするなんて馬鹿らしい。それってお金もらえなかったら、ただこき使われてるだけのただ働きじゃん。そういう風にはなりたくない。自分のため、自分のためだけに自分の時間とお金を使うんだ。
 わたしはそこまでは強欲ではない。けれど、実態としてはamazonで自分のためだけに買い物をし、自分のために読書や勉強をする。それがメインの、それが主体の生活であり、日々の営み。
 そんなある意味、自分の欲望を充足させることに重きを置いた生活をしていたわたしはある一冊の本と出会うのだった。Testosterone『幸福の達人 科学的に自分を幸せにする行動リスト50』という本である。まだ途中までしか読んでいないのだけれど、本当に教えられることばかりで、目からウロコが落ちまくりだった。

 他者貢献こそが幸せへの近道だ。自己欲求の追求でたどり着ける幸せの境地などたかが知れてる。他者を幸せにすること、他者の助けになることに幸せを感じられるならあなたは一生ハッピーに暮らせるだろう。(前掲書p119)

 つまり、自分のために自分の時間とお金と労力を使うのではなくて、他者貢献するのだ。
 早速この本の教えに従ってできそうなことを小さいながらもやってみた。いつもお世話になっている教会のMさんに本をプレゼントしてみたのだ。Mさんが喜んでくれるかどうか分からなかったけれど、Mさん、とても喜んでくれた。その様子を見たら、その10倍Amazonで買い物をした時よりもわたしの中で快感が発生していた。自分のために倍のお金を使った時よりも断然嬉しくなったのだ。要するに、Testosteroneさんも本の中で言うように、自分のために何かをすることはたかが知れているようなのだ。自分のために何かをしても満足はあるけれど、他者のために何かをすることには及ばないのだ。
 それから今日は教会をお掃除する奉仕の日だった。これも終わった時、本当にすがすがしい気持ち良さというか、達成感というか、言葉では言い表せないような満足感と清涼感ならびに喜びがあった。
 もしかしなくても、人間には他者のために何かをするということに快感を感じるようにプログラムされているんじゃないか、とさえ思う。自分の喜び、満足感を独り占めしていても本当の満足感や充足感は得られないようで、今回の一連のことを通してそれを痛感したのだ。
 一人で豪華な料理を食べていてもおいしいことはおいしいけれど、それだけのことでしかない。それを誰かとシェア(共有)したり、この喜びを誰かに伝える。そうした時に本当の喜びが得られるんじゃないか。
 自分を満たすこと。それも必要。けれど、それ以上に他者を満たそうと尽力すること。その行動には想像を超えるほどの満足感や充足感が伴うのだ。本当に利己的な人間は何をするかと言えば、本当の快楽を得るために他者貢献をして他の人のための働きをする。他者を幸せにする。他者を心地良くさせる。他者を満たす。それこそが最も利己的な人間が本能的にかぎとる究極の快楽ではないかとさえ思うのだ。
 教会のMさんへのプレゼントにしろ、教会のお掃除の奉仕にしろ、金銭的には1000円もいかない程度の貢献でしかない。けれど、その小さな貢献が大きな大きな満足をもたらしてくれたのだ。そこに自分のためではなくて他者のために行動することが最も利己的である(満足をもたらすという意味において)、という逆説が成り立つように思う。もっとも自分の快楽を追い求める人間は利他の精神に目覚める。利他こそ最高に気持ちがいい。そして、やるこちら側を幸せにし、受け手であるやってもらう側も同時に幸せにする。
 偽善? そんなことを言ってくる人には言わせておけばいい。たとえ、自分の快感とか快楽を求めて利他的な行いをしていたとしても、結果としては人のためになっているのだ。誰かの幸せが増進されて、それをやった側も幸せになって、とにかくこの世界にいい影響を与えることができているのだ。幸せな人をこの地上に増やしているのだ。偽善とか何とか言う人はそれこそ何もやっていない。やっていないのだから、世界を良くしているわけでもない。だったら、たとえそれが偽善であって見え透いた自己満足のためであっても実際に行動に移している人の方が断然、言うまでもなく尊いんじゃないか。自分が気持ち良くなるためにごみ拾いをする人がいたとして、それを「偽善だ」と批判することはできるけれど、それは同じようにごみ拾いをしている人が「お前のは動機が不純だ。だから偽善だ」と批判するならまだ分かる。けれど、なーんにもやっていないのに口ばっかり達者で「それって偽善だよ」などと言うのは建設的な批判ではないし、その人は偽善にすら到達していない。
 これからの時代、誰かのために何かをすることがトレンドになっても良さそうだ。というか、いつの時代にもこれが繰り返されてその時代、時代が作られていったんだったね。
 ボランティアってかっこいいね。クールだね。そんな若者が台頭してきてもおかしくないし、してきてもらたいものだと思う。まぁ、そこまでボランティア活動まで本格的なことをしなくても、身近な人にペットボトルのお茶をおごるとか、缶コーヒーをおごるとか、それくらいのことから始めていったらいいんじゃないかって思う。それだって立派に人の心をあたたかくしているんだから、利他の精神だわな。
 というわけで、母に昨日、400円のお弁当をおごった星さんはさらなる飛躍を目指し、ゆくゆくは仕事ができたらと思っている。仕事だってお金をもらいながらもそれ以上の他者貢献をしているわけだから(1万円のお金を受け取るとしたらおそらくはそれ以上の価値のある仕事をしている)、利他の行いだ。その利他の他者貢献の規模が400円からウン十万円にも拡大していったのが一般的にいうところの仕事であって、基本的な姿勢というかあり方はお茶や缶コーヒーをおごることと変わらない。他の人のために自分の労力と時間を使っているわけで、根底を流れている思想は同じなわけだ。
 人のために何かをする。わたしはそれをどこまでも貪欲に求めてやっていけたらと思う(少しずつ規模を大きくしていけたらいいな)。こういう貪欲さはいい。自分も他者も幸せにしていくからね。

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