放送大学にちむどんどんしなくなってきて

いろいろエッセイ放送大学
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 連続テレビ小説の「ちむどんどん」も終わり、ちむどんどんって何だったっけ? となっていくであろうことは必死の未来だけれど、ちむどんどん最終回良かった~~。てなことは置いておくとして、何もわたしは朝ドラの最終回の話をしたいわけではない。そうではなくて、わたしにとっての放送大学の話をしていきたいのだ。
 私事ではありますが(ってブログなんてほとんど私事のかたまりみたいなものだけれど)、ここんところ放送大学に胸がときめかないんです。朝ドラの「ちむどんどん」の言葉にならえば、ちむどんどんするかしないか、と言えばしないんです。困った。これは困った。というわけで自分自身の思いを整理するためにも精神保健福祉士のWさんに電話で相談してみたのだ。
 Wさんはわたしの話をていねいに聞いてくれた上で、「お休みしてもいいんじゃないかと思いますけど」みたいなことを言ってくれた。Wさんは自己決定、自己選択を尊重してくれる人だ。というよりは、所属している団体の基本方針が自己決定の尊重でもある以上、「絶対やめた方がいい」とか「絶対続けるべきだ」みたいなことを言うのは団体の理念から言ってもふさわしくないし、反する。Wさんにできること。それは自分の考えを押しつけるのではなくて、その相談してきた人にとって一番いい自己決定を支えること。もちろん、「わたしは死にたいと思っています」と言ってきた人に「自分で考えて決めてくださいね」みたいなことは言わないだろう(それはあり得ない!! そんなこと言ったらダメだ!!)。その人が誰かを傷つけようとしていたり、自分自身を害しようとしていたら、もちろん止めに入る。でも、そうしたことでない限り、基本的には自己決定を尊重して、その人自身に決めてもらうのだ。
 放送大学にときめかなくなった今、改めて自分自身に問うてみた。何で放送大学を始めようと思ったのか、って。今、わたしが放送大学で学んでいるのも、やはりきっかけがあったからだ。あれをやりたい。これをやってみたい。だから、そのために放送大学で勉強する。そのように何らかの志はあったはずなのだ。それが今、揺らぎつつあるものの、それでも始めた当初はあったのだ。
 わたしは人のこころのことを勉強して、人間を深く理解したいと思った。だから、放送大学を始めたのだ。心理学をメインに勉強して実生活や将来の仕事に何らかの形で活かしていく。それが始めたきっかけだったのだ。
 で、現在。わたしが変わってきたのだろう。心理学にまったく関心がなくなったかと言えば、そういうわけでもないのだけれど、それでもいろいろと別の分野の学びにひかれるようになっていった。電話でWさんがわたしに言ってくれた言葉の中に「変わっていくのは悪いことではないです」があったけれど、どうやらわたし自身、変わってきたようなのだ。心理学を学んで人間理解を深めるのもいいだろう。でも、今のわたしにはそれ以上に関心のある分野ができつつある。ヨガ、インド哲学、アーユルヴェーダ、キリスト教神学、ヘブライ語、宇宙論、仏教などなど。やりたいことは心理学以外にも山のようにある。だから、あえて放送大学にこだわらなくても、十分に独学で学ぶことはできるのだ。それにわたしの関心領域を見てもらえれば分かる通り、宇宙論くらいしか放送大学では学ぶことができない。それも宇宙論に特化しているわけでもない。基本的なことが学べるに過ぎないのだ。
 あと、大学を卒業して大卒になることに意味を見出せなくなってきている。別にわたしはこういうことを言うのは何だけれど、学歴を必要とはしていない。大学院へ行って専門的な勉強とか研究がしたいというわけではないし、大卒を生かしてどこかの企業に就職するとか、大卒が必要な資格を取るとか、そういうことを希望しているわけでもないのだ。ただ、自由気ままに学びたいことを学びたいだけ学び続けていきたい。だから、放送大学を卒業したところで、そのことで何かメリットがありそうな気がしてこないのだ。もちろん、自分にとっての誇りというか、「俺は大卒なんだ」みたいなものを持つことはできるだろう。でも、わたしはどこの大学を出ているとか、どんな資格を持っているかとか、そんなことはどうでもよくて、それよりもその人の総合力というか、その人が活き活きと輝いているかどうか。それだけだと思っているのだ。言うまでもなく資格を持っていれば、あるいはどこそこの大学を出ていれば、「あぁ、あなたはこのラインはクリアーしているんだ」みたいな目安にはなる。わたしには学歴も資格もないから、それ以下だということは重々承知しているけれど、何というかそういう視線でわたしのことを見てもらいたくないのだ。わたしが書いていること、喋っていること、やっていること、日々の行動。そういったものを総合して「星さんって結構面白い人かも」って思ってもらえればそれでいいのだ。逆に高学歴、高ステータスの資格を持ちながらも何も魅力を相手に感じさせないような、有能だけれど無能な人だっているのだ。勉強はできるけれど、「じゃあ、あなたはどう思いますか?」と聞かれて自分の意見というか見解を言えない人だっていることだろう。つまり、哲学がない。その人の人生哲学が欠如しているのだ(とか言いながらもこういう話の振られ方をするとわたしも緊張するとは思うけれどね)。
 というわけで、ここまで何もできていない星さんが偉そうなことも随所に述べてまいりましたけれど(そういうこと言ってるお前ができてないんじゃないか、みたいな話ね)、放送大学どうしようかねぇ。ちむどんどんしないんだよなぁ。わくわくしたり、胸が高鳴ったりはしないんだよなぁ。もう少し考えるか。考えるべ。というわけでゆっくりと考えていけたらと思う星なのでした。辛口御免。

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