Twitterがあれほど自分には合わないと言いながらも、それからちょくちょくやっていたわたしである。
ある時、わたしはこんな内容のツイートをした。「パッとしないブログに、パッとしないTwitter……」などと自身の置かれた状況を少し悲観しているかのようなツイートをしたのだ。何も期待していなかった。いわば、一種のグチ吐きとかウサ晴らしと言ってもいい。こんな一方的なツイートに返信が来るだなんて想像すらしていなかった。が、来たのだ。
「パッとするってどういうことですか?」みたいな意味深なリプが来た。たしかに、わたし自身、パッとするとかしないとか言っているけれど、その意味しているところをあまりよく分かってはいなかった。わたしはこのある意味、哲学的というか鋭い返答からその人物に期待した。「何か有意義なものが得られるかもしれないぞ」。そして、わたしは答えた。「お金をたくさん得るとか、人気者になることです」と。そうしたら、彼は次のように返してくれた。Jさんとしておこうか。Jさんはこう切り返す。人気などを自分の中心にしていると安定しない。そういうものではなくて、自分の内側を満たした方がいいんじゃないか。自分はクリスチャンでヨギー(ヨガをやっている人)です。ヨガをして、お祈りして、一日を始めて一日を終えます。
ふむふむ、わたしと共通点が多いぞ。男性でクリスチャンでヨガをやっている人って滅多にいないんじゃないかな。しかも若そうだ。
と彼のリプを読んでいたら衝撃的なまさに核心をついた言葉にわたしは目を見開かされた。「人の評価がほしいのは自信がないからです」。ズドーン。わたしのハートのど真ん中をJさんは射抜いたのだ。わたしが、わたしが今、一番必要としていた言葉。それを彼はこともなげにさらっと言うのだ。このJさんのこの言葉、10回くらいは読んだだろうか。と、何だか魂の解放というか、オーバーに聞こえるかもしれないけれど決してオーバーでなくて、わたしの苦しみの氷が一気に氷解したのだ。
わたしの苦しみ、葛藤の原因。それは自信がないから。自信がないから、小・中学校時代、勉強して成績を上げて人から評価されようとした。いつも真面目に親の期待に背くことはしないで「よい子」でやってきたし、あろうとした。それも人から評価されるため。社会的に成功して売れっこ作家になりたい。それも根本的なところは自分に自信がないから。みんなから「すごい」とか「えらい」とか言われることによって、自分の自信がないことを補おうとしていた。
あやうく、あやうくだけど、このJさんの一言がなかったらわたしは一生、人からの評価を求めて、ほしがって、全面的に自分の中心にしてそれに依存していたことだろう。でも、気付いた。たしかに人から評価されることはわたしの気分を良くしてくれるけれど、それを中心にしてしまったのでは、いつもゆらゆらと安定することなく揺れ続けるんだな、と。評価が得られれば天にも上る思いで絶好調になり、少しでもけなされれば絶不調になって底をはう。自分の気分を人任せにしていて、気分を良くしたり悪くしたりするリモコンを自分以外の人たちに委ねてしまっている。
Jさんはわたしに押しつけがましい調子ではなくて控え目にこんなことを書いてくれた。練習(おそらくヨガのことだろうと思う)をしていって少しずつ、少しずつ自分の内側を満たしていったらどうでしょうか、と。今のわたしに必要なこと。それも一番必要なこと。それは社会的な名声とか名誉を手に入れることではなくて、それらに依存しないで生きていけるように自分の内側を少しずつ満たしていっぱいにしていくこと。人の評価に翻弄され続けるのではなくて、どっしりと自分軸を持ってしっかりと立つこと。そのためのヨガなのである。
ヨガをやる目的って何だと思います? 何のためにヨガってやるものなのか。ズバリ、一言で言うなら、自分の心をベストな状態にして安定させること。いたってシンプルだけど、難しいポーズができるようになるとか、体の柔軟性を極限まで高めるとか、そういうことではないんだ。すべては心の平安のため。心の平和を得るため。この一点に尽きる。(まぁ、この意見に同意できない人もいるかとは思うけど。)
神様は本当にわたしに最良のものを与えてくださるんだなって今回のことを通して思った。これからJさんとどんなやり取りがあって、どんな関係が発展していくのかわたしには予想できないけれど、神様は出会うべき時に出会うべき人を与えてくださるんだなって思わずにはいられない。死ぬまで、一生涯、人の評価を得ることだけに翻弄されて流され続けていただろうわたしに、「いや、こうする方がいいんじゃないですか」とJさんを通してお導きを与えてくださった神様。恵みだな。本当、恵みだと心の底から思うよ。
人の評価に一喜一憂されることから卒業できた先にはどんな世界が広がっているのだろうか。さぁ~、ぼちぼち今日も夕方からヨガをやろう。そして、神様にお祈りをしよう。人生の方向性を示してくださった神様、ならびにJさんにオーバーではなくて、感謝、感謝な星なのでした。Jさんとの出会いをきっかけに新しく目の前が開けていくといいなぁと願いつつ。
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わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。