蜘蛛(くも)

 昨日は安倍元首相が銃撃を受けて亡くなるという事件が起こった。それからというもの、テレビはそのことで持ちきりで今朝もその勢いはとどまることを知らない。どのテレビのチャンネルでも安倍さんのことをやっていて、この事件の衝撃の大きさを感じさせられる。
 と、ふとこんなことをわたしは考えた。わたしは安倍さんよりも価値が低い人間なのだろうか、と。わたしの影響力はたかが知れていて、わたしが凶弾を受けて倒れようとも大したニュースにはならないことだろう、と。そう考えると何だか、人間は平等だって建前ではみんな言うけれど、実際命の価値に優劣はあるんじゃないかという気がしてくる。そんなはずはない。みんな平等なんだ。だったら何であんなに安倍さんの死を取り上げるんだ?、といった疑問がふつふつと沸き出してくる。
 安倍さんの死を大々的に取り上げる一方、名も無き人々はこの瞬間にも息を引き取っている。わたしはその死が取り上げられないこと、悼まれないことに違和感を感じる。と言いつつもそれを具体的にやるとなると、「日本死亡新聞」でも立ち上げて日本全国津々浦々の亡くなった方々を記事に載せなければならなくて、分厚い本のようになってしまうだろうから無理だと思うけれど。それでも、名も無き人々だって安倍さんと同じくらい注目されていいし、いや、されなければならないようにさえ思うくらいなのだ。
 そんなわけで、少し暗い面持ちで気分転換も兼ねて庭に出たわたしである。プランターには枯れたキャベツから新しい芽が出て何本か茎が伸びている。その横にはまるで鉄塔か何かのように雑草がそびえ立っている。少なくとも80センチ以上はあるだろうか。
 と、わたしの目はその鉄塔のような雑草の葉っぱの裏にいる一匹の蜘蛛(くも)に注がれた。いつからそこにいるのだろう。蜘蛛は悠然と身動き一つせずに葉の裏に逆さまにぶら下がっている。
 わたしはただ無心になってその蜘蛛を眺めていた。何も考えていない。ただボケーっとわたしは蜘蛛を視界に入れながらその体を見ていた。脚には何本か細かな毛が生えていて、蜘蛛って脚に毛が生えてるんだなと妙な感興を覚えた。と小説風に記してきたけれど、何を言いたいかというとわたしがただ何も考えずにその一匹の蜘蛛を見ていたということだ。
 15分は経っただろうか。身動き一つしないマイペースな蜘蛛にだんだん飽きてきたわたしだった。すると、わたしはその蜘蛛に自分自身を重ね始めたのだ。わたしはこの蜘蛛みたいだ。そう思った。蜘蛛には地位も名声もお金も何もかもことごとくない。しかし、蜘蛛は立派に生きている。この蜘蛛は言うまでもなく、日本を股に掛けたり、世界を股に掛けたりして活躍することはこれから先、特にないことだろう。ビッグな存在になることはないだろう。それでも、焦らず、腐らず、ただ己のやるべきこと、つまり蜘蛛でいることを、蜘蛛として生きることを忠実に果たしている。何かそのあり方にとてつもない存在感というか、蜘蛛の蜘蛛らしい生き様、言うならば蜘蛛の人生哲学を見たような気がしたのだ。わたしは安倍さんと自分を比較して劣等感に苛まれて気持ちを沈ませていた。蜘蛛の偉いところ。それは比較しないことだと蜘蛛を見ていたら思った。蜘蛛は比較しない。ただ、比較などしないで自分のやるべきことをやる。ただ、それだけ。つまり、置かれた場所でしっかりと咲いているのだ。生きているのだ。
 蜘蛛と人間を単純に比較して、わたしは蜘蛛のように生きたいんだというのは少々無理がある。けれど、蜘蛛から学べること、学ばせてもらうことは十分あるのだ。
 わたしがこれからビッグな存在になるのか、それともこのまま狭い世界で生きていくのか。それは分からない。けれど、その時その時の置かれた状況で最善を尽くしていくということに変わりはない。狭い世界でただ他の小さな虫を捕って生きていく蜘蛛。それは寂しい生き方なのではないかと、世界を又に駆けるようなビッグな人は言うことだろう。でも、たとえそれが狭い世界であろうとも、その世界で精一杯懸命に生きていくこと。それが大事だということを先程の蜘蛛からは教えられたように思うのだ。
 富も名声も権力も社会的地位もない蜘蛛。でも、そんなこと構うものかとばかりに懸命に生きている。そのまっすぐさ。わたしは小さな人間。それでも腐らずやっていくんだ。時には大きな人間が羨ましくなることもあるかもしれない。でも、わたしはわたしなんだから、毎日できることをコツコツと一生懸命とまで踏ん張らなくてもいいから、とにかく精一杯やっていくんだ。そして、わたしが生涯を終える時、ほんの数人だけでもいいからわたしの死を悼んで天国へ旅立ったことを祝福して喜んでもらえたら嬉しいなって思う。
 ビッグにならなくても、なれなくてもわたしの人生には意義があり価値がある。わたしはあの蜘蛛のような存在だと思う。そして、ビッグになれてもなれなくても、あの蜘蛛のまっすぐさを忘れないようにしたい。
 以上、庭で一匹の蜘蛛を見ながらこんなことを考えた。

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