しみバナ

いろいろエッセイ
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 ヨガ、朝散歩、用事での外出。そんなこんなでわたしは8510歩も歩いているらしい。で、やっとほっと一息。
 8000歩も歩くと、脳の回路が切り替わるのかわたしは途端に書けなくなる。だから、この文章もしどろもどろに書いている。
 だるい。それにしてもだるい。ぐだぐだ不調日記を書くまでにはいかないけれど、それでもだるい。っていうことはぐだぐだ不調日記の出番ですか? 第10弾? 今、一瞬あなたはこれは面白くなりそうだな、みたいな顔をしませんでした? ぐだぐだ不調日記始めちゃいますよ? 期待をよそに(って誰も期待していないとは思うけれど)今回はしみじみとした文章を書いていけたらと思っている。しみじみ。しじみじゃないよ。しみじみ。しじみ。しみじみ。しじみ。だんだん文字が記号化されてきて、難しくなってきた。
 ところで、皆さんはお疲れだろうか? わたしは今疲れている。結構疲労が来ている。疲れた時には休むのが一番って言うけれど、わたしは「はい、休んでください」と言われてもどう休んだらいいのか分からない。時間を持て余してしまって、休めないのだ。というよりも休むことに集中しようとするあまり、逆に疲れてしまうみたいなやつですかね。
 休むの「休」。今気がついたんだけれど、人が木と並んでいる。だから、休んでいる。わたしの推測では、森林浴でもしてくださいって意味じゃないかなって思うんだ。根拠は? ない。自信を持ってそうだとは断言できないものの、それでも休むとは本来自然の中で休むことを意味していたのではないか。しかし、現代人は「人」と「スマホ」で休むものだと誤解してしまっている。にんべんにスマホと書いて休むみたいな感じだ。そんな現代人にこの漢字は大切なあり方を教えてくれているように思う。木と共に休む。自然と共に休む。そういうことじゃないかな。
 しみじみとした話。なかなかこれは難しいぞ。うーん、じゃあ、次はあの話。
 今日わたしはヨガをやろうとテレビをつけたんだ。そうしたら某高級ブランドのお披露目会みたいなものをやっていて、それはそれは高そうな服や装飾品を美男美女が身にまとっていたんだ。それを見て単純なわたしは何かイラっとしたんだよね。自分と彼らを比較して劣等感にさいなまれたわけさ。で、そのことを母に言ったら、母はわたしにこんなことを言った。「あの人たちは渇き続けている人たちだよ」って言うんだ。「どんなにいい洋服を着ても、どんなにいいものを身に付けても満足できないから気の毒な人たちだよ。好きにそういう人たちはそういう人たちでやらせておけばいい。」さらには、「ブランドのものって新しいのが次々に出るから、それを買い続けなければならないよ。一生それを追い続ける人生っていうのはつまらなくない?」しっかりとした聡明な母だとわたしは思う。
 人間誰しも渇いているものだ。カラカラで潤してくれる命の水を求めている。そんな時に、どんな水を飲むのかというのが大きいのではないかと思うのだ。高級ブランドに溺れるのはいわば塩水を飲むようなものだ。飲めば飲むほど魔法のようにのどが渇く。そして、血圧も上がっていき、体のコンディションはボロボロになる。それでも塩水はしょっぱくておいしいから飲み続ける。状態はどんどん悪くなっていく。
 ってしみじみとした話ってこれでいい? 大丈夫? しみじみというより、しみる話だなぁって思う。しみる話もいいねぇ。
 では、次のしみじみとした話へGO!!
 人生、何が役に立つのか分からないものだというしみじみ話をおひとつ。
 わたしの高3の夏休み。何をしていたと思います? そりゃあもう受験勉強に決まってるでしょう、といきたいところだけど、違うのだ。遊んでいた? 遊んでいたわけではないんだ。ちゃんと勉強はしてなかったけど、やることはやってたよ。それが何とパソコンのブラインドタッチの練習。高3の夏休みに追い込みをかけている同級生をよそに、わたしはひとりブラインドタッチの修得に向けて目下励んでいたのだった。華麗に両手でチャカチャカ、キーボードを打てるようになりたい。その一心で毎日のように受験勉強なんか一切しないでパソコンのキーボードを叩いてましたよ。受験生がブラインドタッチとか自殺行為なのでは、てな感じだが、そのブラインンドタッチが遅ればせながら今、猛烈に役に立っている。役に立っているなんてもんじゃない。このブログをこうしてチャカチャカ打てるのもまさに高3の夏休みの特訓の賜物なのだ。まぁ、受験勉強していた方がリターンは大きかっただろうけれど、この技能ができるだけでも実にありがたいし重宝している。人生、やっといて無駄なことは一つもないんだなとしみじみ思うのだ。だから、今やっていることの小さなものから大きなものまで、その一つひとつがわたしを形作っていて、それが未来のわたしへと確実につながっている。そんなことを思う。
 高校時代、1、2回面接をしてくれた臨床心理士の先生が「人生には無駄なことってないんですよ」としみじみ言っていたことが今となってようやく、あぁそういうことだったのかと分かる。あぁ、無駄なことってないんだな。全部尊い糧となって経験となってわたしを豊かにしてくれているんだなと思うんだ。
 しみじみとした話。略してしみバナ。しみじみとした話の先に何か大事なことがある。それに気付かせてくれるのがしみバナじゃないかな。
 一切は移り変わっていく。諸行無常の響きあり。これこそまさにしみバナの極み。しみじみを大切にしていきたい。

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