施設の祖母の荷物、片付け完了!!

いろいろエッセイ
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 只今時刻は午後の2時を少しばかり過ぎたところ。今日の反省というか、振り返りをするには、少しばかりまだ時間が早いような気もするけれど、何だか今日はもうこれで一仕事終えたような感じだ。
 今日わたしがやったこと。まず、必要な証明書を市役所のようなところでもらってくること。二つ目には、祖母の葬儀の支払いを葬儀屋さんでしてくること。そして、さらに今日やるつもりはなかったけれど、祖母の施設での荷物を片付けて必要なものは持ち帰ること。
 これらのことをすべてこなした星さんなのである。仕事をしている人から見たらどうってことないかもしれない。でも、わたしにとってはなかなかエネルギーのいる作業でどうってことないなんてことはなくて、それなりに労力を費やし、終わってほっと一息ついているというところなのだ。
 証明書を手に入れて、祖母の葬儀の支払いをしたら何だか肩の力が抜けた。今日やるべきことが終わった~、っと達成感で高揚していたのだ。実はこの2つもやってこれるかどうか不安だった。自分にちゃんとできるのだろうか。こなせるのだろうか、と心配していたくらいなのだ。でも、できた。何だ。案ずるより横山やすしじゃん、って違うがな。(笑)産むがやすしでしょ、星さん。もうデーブさんのやつの方が先に浮かんでしまうのです。こりゃ、まいったな。てへ?(ってよく分からない表現だな、これは。)
 やってみたら案外できて、今日の予定はクリアー。で、時刻はお昼の40分ほど前。まだ、時間がある。ということで、祖母の最期を看取った施設が近かったので行ってみよう、と自分でも不思議なくらいスイスイ向かえたのだった。
 ここんところ忙しくて施設へ荷物を取りに行けないでいたら、施設の人が荷物をまとめておいてくれたのです。ありがとうございます。そして、まさにグッジョブと言いたい。そんなこんなで、施設の入り口付近の椅子でその荷物が上の階から運ばれてくるのを待っていた星である。
 運ばれてきた荷物を見てびびった。(これどうやって持って帰ろう? すごく多いんですけど。)段ボール箱で4箱くらいはあっただろう。まさに祖母が施設で暮らした大量の足跡のような荷物を前にわたしは呆気にとられた。でも、次の瞬間には機転がきいて、施設のスタッフに「いるものといらないものを分けさせてもらって、いらないものは処分してもらうことはできますか?」と伺いを立てることができたのだ。とにかくタクシー一台で持っていけるくらいの分量にしたい。それがわたしの直感的な願いだった。
 施設のスタッフは当たり前のことのように快く「いいですよ」と了解してくれて、祖母が残していった荷物の分別(?)作業が始まったのであった。
 分別にあたったのはおもに相談業務などを担当している2人と看護師さん1人とわたしの計4名。
 4人もいるからサクサク遺品整理は進んでいく。みんなスピーディーにこなしていく。わたし以外の3人は、わたしにこれはどうしますか、と残すか捨てるかの判断を一任していて、わたしはそれに流れ作業のように答えていく。かかった時間は15分か20分くらいだったと思う。
 祖母の思い出が残された人間によって整理されていくのは実に鮮やかというか、あっけないくらいで、あぁ、祖母はもういないんだな、というのが遺品からひしひしと伝わってくる。でも、わたしたちはこれからを生きていかなければならない。祖母の思い出にひたる時があってもいいかもしれないけれど、明日を生きていかなければならない。そんないわば決意のようなものをわたし自身、強くしたようにも思う。
 そして、施設に残された祖母の遺品の片付け終了。それが終わった後に、相談業務などを担当している2人と2、3分くらいだっただろうか。短い立ち話をした。わたしは彼らに言った。「祖母はこの施設に戻ってから3日で亡くなりましたが、もし病院で看取りということになっていたら2月の21日に思い出深い話をすることもできなかったんです。3日でしたけど、祖母は嬉しかったんじゃないかと思いますよ。本当にお世話になりました。ありがとうございました。祖母はホテルみたいだってこの施設で生活できたことをそれはそれは喜んでいたんですよ。こんなにいいところに入れてもらってとわたしと母にしきりに感謝していたんです。それくらいここでの暮らしは祖母にとってとても幸せなものでした。」
 施設のスタッフの二人は「そう言っていただけますと本当に嬉しいです」と祖母のなきがらにも会っているだけにうつむきがちにやや悲しそうに言う。でも、その悲しみのこもったトーンの中にも2割か3割くらいは、自分たちの仕事によって幸福を提供でき、貢献できたのではないか、という喜びというか自負が感じ取れて複雑な心境をあらわしていた。
 施設のスタッフ3名とわたしの奮闘の甲斐あって、4箱ほどあった荷物は2箱にまで減りコンパクトになった。これならタクシーのトランクに収まりそうだ。わたしは祖母の施設の荷物の片付けが終わったことに悲しさを覚えるどころか、むしろ少しばかりわさわさ荷物の整理をした後だったからか、気持ちが高ぶっていた。これで、おしまいだ。終わった。達成感がとにかく漂っているのだ。わたしのまわりに達成感というすがすがしい空気が飛散している。これで土日にまた来なくて済む。などと考えていたら、スタッフが電話をかけて呼んでくれていたタクシーが到着。いざ祖母の荷物(遺品)を携えて我が家へGO!!
 が、一気に不安な気持ちがこみあげてくる。一人でタクシーに乗るのがわたしの人生においてこれが4回目だったからだ。何が不安かと言えば、今までだったら家の近くにあるスーパーまでお願いします、と行き先を言えばいいだけだったのが、今回は荷物がたくさんあるから家の前までナビゲートしなければならないのだ。果たしてできるかな。でも、もうここまで来たんだ。もう引き返すことはできない。ここまでやったんだから、あとは仕上げだ。総括だ。腹をくくる。くくりますぜ。くくらせてくだせぇ。
「何をオーバーなこと言ってるんだ。家までタクシーで帰るだけだろ。」普通の人にとってはどうってことのない腹をくくる必要のないことでも、吃音(きつおん)の星さんにとってはなかなかの試練なのだ。
 本日最大のミッション「おうちまでタクシーに乗って一人で帰る」。
 これ、わたしにとっては難易度星4つくらいだよ。(星5つを最高とした場合)
 案の定、肝心なところで喉が吃音のために固まって声が出にくくなってもたついてしまう。が、タクシーの運転手さんもやはり勝手に進むことはできないので、車の速度を落として指示を「待っています」とは言わないけれど、ゆっくり走ることによって待っていてくれている。
 と、声が、出た。何とか指示が出せた。良かった。しどろもどろになりながらも、何とか伝えることができてほっと胸をなでおろす。もう家まであとわずかだ。
 ようやく自宅に到着。いや~、タクシーって何回乗ってもハラハラする。手に汗握るとはこのことだな。遊園地のアトラクションより手に汗握るよ。(絶叫マシーンほどではもちろんないけれど。)
 家に着いて、段ボールを2箱あまり玄関にタクシーから運んで、やっと終了~~!!! よかった~。終わった。
 やればできる子。それが星さん。よくやったよ。本当一人でよくできました。花丸百点だね。(って自分で言っちゃう。)
 普通の人にとっては別に何でもないことでも、わたしにとっては大冒険。小さい子がはじめてのおつかいをこなせたような、そんな達成感に包まれている。オーバー、じゃないよ。これがわたしの実感なのだ。
 とここまで書いてきて、もう時刻は午後3時半。今日はよく眠れそうだな。今日も一日お疲れさまでした。まだ午後の3時だけれど、まぁ今日という日は終わったようなもの。こうしてわたしの平凡だけれど、ある意味スリリングだった(特にタクシー)刺激的な一日が終わりましたとさ。明日も頑張るぞ。オー!!

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