ときメモと自己犠牲

 時のメモだから「ときメモ」? 何だかロマンティックな話ではありませんか。しかし、わたしがここで言っているのはそれではなくて、わたしが青春時代に愛好したものなのだ。ときメモ、これは略称で正式には「ときめきメモリアル」。
 もうかれこれ20年くらい前だろうか。わたしが中学3年か、高校1年くらいの頃だったかと思う。その当時、ときメモがとても人気があってまさに絶頂期だった。
 ときめきメモリアルというのは、ご存知ない方もおられると思うので、簡単に説明するとテレビゲームである。今となってはスマホで好きなだけゲームができるから、あえてテレビゲーム機を持とうと思わない人もいるだろうが、その当時はまだそういったものが発達していなくて、少年少女たちはテレビゲームでよく遊んでいたものだった。その、ときメモが人気がすごかった時というのは、SONYのプレイステーションとセガのセガサターンがまさに一騎打ちをしていたころで(懐かしいなぁ。)、このどちらを買うかということで持ちきりだったのだ。
 で、ときメモは、いわゆる恋愛シミュレーションゲームというその当時はまだ新しいジャンルのゲームだった。簡単に言ってしまえば、このゲームは自分が主人公となり、高校生活を送りながら、勉強したり、運動したり、部活をしたりして自分磨きをしながら、出会った同じ高校の女の子たちとデートをしたり、さまざまなイベントをこなしながら、卒業式に意中の女の子から告白されることを目指すというものだ。
 このゲームは少し内気で奥手な男子たちの心を鷲掴みにした。ついには、ときメモフィーバーなるものさえ起こり、一世を風靡したのである。
 わたしの心も同じくときメモ病とでもいうべきものに感染した。当時のわたしは高校に入って落ちこぼれて、学校に居場所がなく、毎日、新世紀エヴァンゲリオンのシンジ君状態だったので、とにかく苦しかった。そんな苦しいわたしにゲームをやっている間だけであっても束の間の安らぎをときメモはもたらしてくれたのだ。
 ゲームには10人くらいの個性豊かな女の子たちが登場するのだけれど、その中でもわたしは紐緒さんがお気に入りだった。紐緒結奈。ときメモの女の子の中でもこの人は異彩を放っている。バリバリの理系女子で、趣味は研究で、ショッピングはジャンク屋(パソコンなどの部品を扱うまぁ、秋葉原にあるようなお店だね。)が好きでそこへ一緒にデートに行くととても喜ぶ。マッドサイエンティストで主人公に人体改造をしてみないかとすすめてくる。さらに高圧的で自分に服従することを要求してくる。紐緒さん推しの人たちが彼女のことを「閣下」と呼ぶのもここから来ている。が、極めつけは彼女は世界征服を夢見ているのだ。やばい。やばい。この人やばいぞ。精神科へ連れて行ったら妄想性何たらとか誇大性何たらとか、立派な診断がつきそうなくらいだ。ともかく普通の感じではない。
 そんないわゆるモンスターになぜわたしがひかれたのか、と言うと、わたしがM(マゾ)だったからではない。くれぐれも言っておく。Mだったからではない。それから、彼女の思想に共感していたからでもない。思想はおろか人柄にもひかれるところはなかったくらいだ。じゃあ、なぜわたしは彼女にひかれたのか?
 それは卒業式での彼女の告白である。この告白を聞いてからというもの、わたしは彼女に首ったけになってしまったのだ。
 紐緒さんは卒業式で主人公に愛の告白をする。その時、何て言ったか? 世界征服の野望を捨てると言ったのだ。あんなに世界を自分のものにしたかった彼女だったのに、主人公と出会って変えられていったのだ。いわば彼女のすべてと言ってもいい、世界征服。それをあっさりと主人公のために捨てたのだ。あぁ、何という恋愛の力!! ここにときメモが描く恋愛の崇高さがある。わたしがもし彼女の立場だったら、世界征服をやめると、捨てると言い切れるだろうか。一番大切なもの、それを誰かのために捨てる。それくらい恋というものの持つエネルギーはすごい。そして、それを決断できた彼女の心の純粋さにわたしは心底惚れて心を揺り動かされたのだ。
 これはキリスト教でいうところの自己犠牲へとつながっていく話ではないだろうか。卒業式で愛の告白をした紐緒さんだったら主人公のために命を捨てることも辞さないのではないかと思う。
 もしかしたら、その頃からわたしの中では信仰がゆっくりと成長していたんじゃないかって思う。
 大切な人のために自分の大事なものを捨てる。信念、思想、物、家族。大事なものはいろいろある。わたしはいざとなった時に、未練なく大切な人のためにこれらのものを潔く捨てることができるだろうか。できそうで、できない。難しいなぁ。
 自己犠牲。たった四文字の漢字だけれど、ここには深い精神が宿っている。すべてを捨てて恋に生きるのは、それはそれでまた危険かもしれない。
 わたしにも恋がやってくるのだろうか。わたしはまだ本当の恋を知らない。そして、また自己犠牲の心を本当の意味では分かっていない。
 恋のために、大切なものを捨てることができるか。誰かのために死ねるか。この2つの問いはわたしに重く重くのしかかってくる。

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