聖書。この本は旧約続編を入れなければ単純に2000ページくらいある。だから、とてもではないが一日では通読できない。だから、日々コツコツ、コツコツと読む必要がある。
だが、一人で読んでいるとなかなか読むのが続かないのだ。最初の一週間くらいはまぁ何とかなる。が、それ以降となると聖書を読むのが面倒になり億劫になり、しまいには聖書って最近いつ読んだっけみたいな感じになってしまう。で、最初に立てた聖書を通読する計画は無惨にも消滅してしまい、立ち消えになってしまうのだ。
そんな聖書通読が続かないわたしは考えた。何せ意志が弱く続かないわたしである。こうなったら仲間を作ってお互いに励まし合うし合うしか方法がないのではないか。要はやる気が下がって続けられそうもなくなった時に、それでもみんなもやっているのだからといわばストッパーのような人間関係を作っておくのだ。
で、Twitter上でサークルを立ち上げて、仲間を募集した。サークルの名称は「#聖書を通読する会」で、いわば自分のツイートにこのハッシュタグをつけてもらって、今日聖書のここを読み終わりました。あるいは読んだ箇所の内容をまとめたり、その箇所を読んだ感想を述べたり、とにかく割合ゆるめの感じで参加を求めている。共通点は聖書を通読することを目指している、ただそれだけ。みんな読んでいる聖書の訳も違えば、読んでいる箇所もバラバラ。でも、仲間としてつながっている。そんな会というほどの会でもないけれど、とりあえずつながりのようなものなのだ。
規模は小規模である。参加人数は実質4~5人といったところ。わたしもそれほどフォロワーがいるわけではないので、わたしが立ち上げたところで大規模になるわけはないのだが、それでも何か連帯感があって楽しいし嬉しいし励みになっている。
そして、わたしにも変化があった。FEBCの聖書通読表に従って読み進めているのだが、何か聖書が自分の中に染み込んできたのである。それもそのはずだろう。何せ、毎日少なくとも30分以上は聖書を読んでいるのだから。さらにこの学びを有意義なものにしようと、註解書の『新約聖書略解』『旧約聖書略解』も同時にその日の箇所を読むことにしたのだ。それだけ聖書を読むことに時間をかければ理解が進むのはもちろん、信仰も深まっていくのは自然な流れである。(信仰深まってるって言ったけど、実際深まっているといいな。)
クリスチャンは聖書を読む。それも熱心に読む。って言うけれどなかなかこれができないのよ。どうしても一人では楽な方、楽な方に流れていってしまう。だから、だからこそ仲間を作ることには意義があるのだ。仲間を作って励まし合って、お互いに同じ目標に向かって進んでいく。これっていいよ。本当いい。わたしにはヘブライ語の勉強仲間もいるのだが、仲間がいるとやっぱり違う。気持ちに張り合いが出てくるしもちろんサボれなくなる。そして、どんどん向上しているし、目標にも着実に近付いている。以前は、わたしは仲間なんか作っても意味ないよね。と仲間を作ることに否定的で自分で孤独に勉強していたのだが、北海道の精神障害者のコミュニティ「べてるの家」でも仲間の大切さを言っていたことの意味がようやくわたししにも理解できるようになってきたのだ。
一人だとはっきり言って折れる。目標に向かって何かをやるにしても、大抵折れてしまう。でも、仲間がいると違う。仲間。それがさらにもっと同じ目的に向けて結束が強まると同志になるのではないかと思う。仲間と同志。この両者のどこに境界線を引けるのか曖昧なところだが、それでもこうした仲間や同志の存在は支えになる。
それに人間は脳科学的にも仲間がたくさんいて、日々多くの刺激があった方が脳が発達して活性化するとのこと。反対に、仲間がいなくて一人ぼっちで孤独で、ただ毎日何もない部屋で天井を見て寝ているだけだとあらゆる脳機能が低下する。つまり、良い刺激が脳を育み人間を活き活きとさせるのだ。
わたしには仲間がいる。つながりがある。その恵みは本当に尊い。神様がわたしのために用意してくださった仲間たち。それも素晴らしい仲間たちを神様は与えてくださった。感謝したい。
わたしの聖書通読表を印刷した紙には赤ボールペンでたくさん丸がついている。読んだところに丸をつけているのだ。10月15日から始まったその丸はもう1ヶ月以上も続いている。たくさんの丸を見るたびに、よくやれてるなぁ。よく続いているなぁ、と自分でも感心する。これもひとえに仲間のおかげ。仲間による恩恵。そして神様からの恵み。20代後半、底を這いずり回るような思いもしたわたしが、今は仲間にも恵まれ活き活きと楽しくやることができている。ありがたい。何てありがたいんだろう。すべてはイエスさまに出会ったところまで遡ることができる。イエスさまに出会ってからすべてがうまくいくようになった。と言いながらも抱えている問題はあるのだけれど、それでも大方うまくいっていて上向きになっている。ありがたい。
仲間と神様に感謝しながら毎日をさらに充実させていけたらと思う。神様、さらに豊かな恵みをわたしに与えてください。
求めなさい。そうすれば、与えられる。(マタイ7:7)
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。