余命一ヶ月の祖母、京都のお豆腐食べて感極まる

いろいろエッセイ
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 以前の記事にも書いた通り、祖母は余命一ヶ月だと医者から宣告された。そして、食べたいものが何かないかと聞かれて、祖母は「京都のおいしいお豆腐が食べたい」と答えたのだった。それからお豆腐をネットでポチっと注文した星であったのはこの前書いた通りである。
 そのお豆腐が今日、届いた。宅配便の人も「豆腐ですから気をつけてください」とわたしが受け取る時に注意をうながした。はるばる京都からお豆腐が送られてきたのだ。わたしの自宅に届けられるまで、厳重な取り扱いを受けていたことは察するまでもないことであろう。オーバーかもしれないが、段ボールを開けるとき期待が高まると同時にとても緊張した。うっかり手をすべらせてお豆腐をグシャっとつぶしてしまわないか。そんな懸念が頭を駆けめぐる。でも、大丈夫だった。京都から送られてきたお豆腐は傷ひとつなく、わたしが傷をつけることもなかった。すぐに冷蔵庫にしまった。
 で、夕ご飯の時間。待ちに待ったお豆腐を食する瞬間が近付いてきた。期待が高まるぅ~。注文したお豆腐4丁のうちの1丁を開封してお皿に出すと、もうすでに高級感があふれております。うまそうなオーラが燦々と放たれております。てなわけで期待はどんどん高まっていく。と言いながらも、わたしは豆腐をなめていた。イメージでは少し普通のお豆腐よりも旨いくらいだろうと思っていた。しかし、このお豆腐に期待を裏切られることになるとは予想だにしていなかったのである。
 1丁のお豆腐をまずは二等分。半分を祖母に、もう半分はわたしと母の分。祖母のためにと買ったお豆腐でありながらも、わたしたちも分け前に与らせてもらえたのだった。
 切り分けたら後はもう食べるだけ。
 で、食べた。うまい。これは本当にうまい。普段スーパーの1丁30円のお豆腐しか食べていない庶民派の星は、そのお豆腐のうまさに圧倒されたのだった。うまい。うまい。これは文句のつけようがないくらい旨い。何よりもお豆腐が濃いし、濃厚だし、豆のうまみが口の中でどこまでもどこまでも広がる。使っている豆もおそらく高級なものなのだろう。そして、仕事の的確さ。お豆腐を知り尽くしていて、どうしたらうまいお豆腐になるのかというのが計算し尽くされているかのような、そんなうまさ。星さん、ちょっとほめすぎだろうか。いや、そんなことはない。最大級の賛辞を送ってもまだまだ足りないくらいのうまさだ。こういう世界もあるのか、と唸ってしまった。
 と、祖母を見た。泣きそうな顔をしている。へそ曲がりで強がる祖母は「泣かないよ」と天の邪鬼なことを言いながら意固地になっていたが、お豆腐があまりにも美味しいので、感極まったようなのだ。
 何かその様子を見ていたらわたしもじーんと来てしまって、わたしは感涙三歩手前まで行って何とか涙をこらえたのだった。
 こういうお金の使い方っていいね。本当いいね。自分で言うのも何だけど最高にいいね。自分のためにお金を使うこともいいけれど、それ以上の感動がこのお豆腐にはあったのだ。お豆腐に4000円。決して安いとは言えないけれども、あの祖母の泣きそうな顔を見たらその4000円が10倍、いや100倍、1000倍、いやもっとそれ以上の価値に大きく膨らんだように思えたのである。
 これでおばあちゃん孝行になったかな? とお金について律儀な祖母は「豆腐のお金、払うよ」と言い出したのだった。わたしはそれに対してこう言った。「これはわたしからのささやかなプレゼントだからお金払わなくていいですよ。」
 すると、また泣きそうな顔をする。わたしもまた泣きそうになる。気持ちが通じたようでわたしはとても嬉しかった。
 余命一ヶ月の祖母にとって、このお豆腐はどんなものだったのだろうか。わたしは幸せな時間をこのお豆腐が演出してくれたのではないかと思っている。まさに幸せのお豆腐だった。
 お豆腐屋さん、おいしいお豆腐をありがとう。みんなお豆腐を食べて幸せなほっこりとした気持ちになることができました。
 わたしも人を喜ばせたり、幸せな気分にすることができたらどんなにいいだろう。そんな仕事をしたいなと思った。
 おいしいお豆腐のような文章、書けるようになりたいなぁ。頑張ろう!

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