ヘブライ語の勉強仲間と師匠ができた

ヘブライ語
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 数日前、わたしはTwitterで次のようなことをツイートした。それは、ヘブライ語の勉強仲間を募集しますというものだった。
 このツイートにはたくさんの「いいね」が押され、リツイートもしてもらえた。久しぶりに大盛況なわたしのツイートとなった。
 わたしはダイレクトメールを希望して待っていた。そうしたら一人、わたしの勉強仲間になってくれる人が現れた。わたしはその人がヘブライ語を勉強しているということは前から知っていた。お互いにフォローし合っているし、知らない仲ではない。(わたしのこのブログにコメントしてくださったことが出会いであったように思う。)ただ、今一つ接点のようなものがつかめないまま、時々お互いのツイートに「いいね」を押し合っている。そんな仲だった。だが、これを機会にわたしたちは勉強仲間となったのだった。
 実はこの人が一人目ではなく二人目なのだ。一人目はこのブログでも紹介したTさんで、Tさんも「(ヘブライ語)やろうかな」とヘブライ語の参考書まで買って付き合ってくれたのだ。ただ、Tさんに「最近、ヘブライ語の勉強進んでいますか?」と聞いたらあまり進んでいないとのことで、これは勉強仲間があと何人かほしいなとわたしは思ったのだった。(TさんにはTさんのやりたいことや興味・関心があるので無理強いはできない。)ヘブライ語の勉強仲間が急にほしくなってきたのである。
「いいね」を押して賛同してくれる人は何十人もいたが、実際に、では一緒に勉強してくれる人となるとなかなかいないのである。そんな中、一人現れた。これは本当に嬉しかった。聖書には「求めなさい。そうすれば与えられる。」とあるが、この言葉の通りだと思った。求めれば必ず何らかの形で与えられるのだ。
 この人、Fさんとしておこうか。Fさんにわたしは「目標をお互い立ててみませんか?」と提案してみた。するとFさんはわたしのこの提案を受け入れてくれて、お互い目標を言い合ったのである。
 仲間がいると、お互いに目標を立て合うことができ、モチベーションを維持することがやさしくなる。ダイエットや運動なども一人でやるよりも仲間を作ってやった方が続くと言うではないか。
「仲間がいる。だから壁にぶつかっても乗り越えることができる。」こんな言葉をまるで他人事のように聞き流してきたわたしだけれど、この言葉は真理だと思う。仲間をつくり励まし合うことによって、どんなに壁が高くとも乗り越えていくことができるのだ。まだ日は浅いが、それでも仲間がいることによってもたらされる恩恵が計り知れないことはひしひしと感じつつある。
 Fさんの目標。ヘブライ語の参考書を一日あたり2ページ進めるとのこと。
 星さんの目標。ヘブライ語の学習DVDを一週間、一ヶ月とそれぞれの期間で終わらせる目標を立てた。
 Tさんは? おそらく近いうちに参戦してくれることだろう。Tさんの今後にもわたしは期待していると書くにとどめたい。
 そういうわけで仲間が新たにできた喜びとやる気に包まれている星なのである。そういうわけでFさんと「今日からヘブライ語の勉強始めます」と宣言し合った日曜日、もちろんヘブライ語を勉強した。た・だ・し、ちょっと勉強し過ぎた。張り切りすぎて飛ばし過ぎたのだ。ちょい反省。初日から息切れし始めているペース配分を考えない星なのだった。ぼちぼちやっていこー。その方が長続きするし、無理がないからね。
 それからわたしが自分でヘブライ語の師匠だと思っている人もいて、わからないことがあるとその人にTwitterで時々質問をすることがある。そうすると、丁寧に回答してくれる。本当ありがたい。やはり、何かをやるにあたって質問できる師匠がいるというのは大きい。わからなかったら人に聞く。質問する。なかなかこれがマニアックなヘブライ語ともなると質問できる人がリアルの世界ではほとんどいない。(牧師くらい?)
 ネットは同志や仲間を探すのにうってつけのツールではないかと思う。ヘブライ語をやりたい人なんてわたしの身の回りにはいないから、本当重宝している。ネットだからこそ見つかった仲間であり師匠である。(ヘブライ語を教えてくれる教室と言えば近くても東京まで行かなければならない。)
 仲間と切磋琢磨し、師匠から分からないところを教えてもらう。これを続けていけばかなり熟達することができるのではないだろうか。そういうわけで、ネット社会の恩恵を豊かに受けているわたしなのである。
 この調子だ。あとはひたすらコツコツ、コツコツ勉強していくだけだ。頑張れ、大地。続けろ、大地。未来は明るい。
 神に感謝。

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