祖母が入院して新しい生活が始まった

いろいろエッセイ
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 祖父が施設に入所して、母は母でアパートに戻って一人暮らしを始めたので、実質、祖母とわたしの二人で暮らしていた。
 前回の記事は祖母が入院するだろうか、というところで終わっていたと思うが、あれから祖母は結局というか必然というか入院したのだった。
 祖母の入院が何を意味するかと言えば、もう家には戻ってこれないということだ。つまり、最期を病院で迎えるのである。看取りの入院と主治医は言っていたらしい。ついに、ついにその時がやってきたのだ。祖母の最期が確実に近付いてきたのだ。
 この数日、祖母が入院するということで、母とわたしは入院時に必要なものを近くのスーパーで買ったりしていた。そして、母がそれを病院まで持って行ってくれたのだった。母の存在が何と心強く思えたかは言うまでもない。
 病気で祖母の腎臓や肝臓などの臓器はやられてしまっていたとのことだ。全身状態が悪くまさに重病人といった感じで、日常生活をやっとのことで送っているような状態だった。
 たしかに祖母が入院してしまったことは衝撃的であったけれども、それ以上にこう言うと不謹慎かもしれないが、新しい生活が始まったかのようでわたしは新鮮な気持ちで一杯なのだ。なぜなら、アパートで暮らしていた母とまた一緒に生活できるようになったからだ。母が家に戻ってきた。そして、祖母はもういないから母が爆発して家を飛び出すことはおそらくもうない。(わたしがとんでもない暴言でも吐かない限り)
 まさに新生活。祖母のいない家で母との生活が始まったのである。
 祖父母の二人がいなくなった家は広く感じられる。これから祖母もおそらく近いうちに亡くなることだろう。そうすると残された人が生きていかなければならない。祖母が死んだとしてもわたしと母には毎日の生活がありこれからの人生があるのだ。さらに祖父ももう92歳だ。すぐに亡くなったとしても長生きで「大往生でした」と言われるくらいだ。だから、もう祖父母に頼るのではなくて、わたしはわたしで自分なりに生きていかなければならない。そして、その第一歩として母との新生活が始まったという次第なのである。
 母との生活は楽しい。祖母には申し訳ないが、祖母と一緒にいてもほとんど楽しくなかった。ネガティブな愚痴を愚痴らしくグチグチ、ネチネチ言ってくる祖母。言うこと一言一言がしょうもなくて、「どうしてこんなにしょうもないんだろう」と毎日のように思っていた。その問いに対しては「しょうもないからしょうもないことしか言えないんだろう」でいつもわたしの中で完結していたように思う。
「おばあちゃまが食事の支度をしてくれてたんでしょう。良かったね」などと言われようものなら、祖母には食事の支度はしてもらっていなかった。わたしはわたしで自分の食事を用意して黙々とだいたい一人で済ませていたのだ。たまに話をするかと思えばネガティブな話ばかりの祖母。楽しいわけが、ないよね。むしろわたしがカレーとかを作ったりして振る舞うことがほとんどで、祖母に料理をあまり作ってもらったという記憶がない。(たまにちょっとしたものをくれたりはしたけれど。ゆでブロッコリーとか。)
 祖母が入院したことについての近況報告はこんな感じだ。
 一緒に生活する人が誰かということは意外と重要で大きなことかもしれないと思う。
 わたしにとっての新生活が始まった。新しい気持ちでこの生活を謳歌していきたい。こんなにも早く母とまた暮らせるとは思っていなかったので未来のことはわからないものだとつくづく思う。
 毎日を大切に生きたい。母との暮らしは始まったばかりだけれど、いつかは終わりがやって来るからだ。先走り過ぎているのだろうか? でも有限だからこそ、いつまでも続かないからこそ、今という瞬間がとてもとても愛おしいのではないだろうか。愛おしく感じられるのではないだろうか。
「災い転じて福となす」の言葉の意味が今のわたしにはぴったりなのかもしれない。って言葉の意味が違う? でも、今はそんな風に言いたい気分なのだから仕方がない。
 わたしは今を大切に生きていきたい。今を大切に生きていったらそれが結果として幸せだったということになるんじゃないかと思う。
 今、今、今。今が大事。とっても大事。

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