コロナワクチン打つか打たないか

いろいろエッセイ
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 ここんところわたしが取り組んでいた課題。それはコロナワクチンを打つか打たないかということについての検討だった。実に難しい課題であった。そもそも、わたしの理科の教養は中学校2年生から何も進展していないのだ。だから、少し科学的な話が込み入ってくると分からなくなってくる。科学リテラシーほぼゼロなわたしなのである。
 コロナワクチンはmRNAワクチンだそうだ。だが、高校の理科をさぼったわたしに分かるわけがない。理科って積み上げ式の勉強だよね。うん、本当そう思うよ。
 でも、ワクチン打つか打たないか決めなければならない。わたしが? いやいや、じいさんがなのだ。じいさんが打つか打たないかを家族が決めなければならないのだ。
 最終的には二者択一のある方を選んだのだけれど、それを書いてしまうと波風立ちそうだから伏せさせてほしい。星さんのじいさんがワクチン打つか打たないかなんて、興味ありますか? おぉ、その好奇心全開のまなざし!!でも、教えてあげないよ、ジャン。(意地悪したいわけじゃなくて伏せておきたいのだ。ご理解願いたい。申し訳ない。もしかして怒った?)サクサク、○リンキー新発売、ジャン!ってな冗談はこれくらいにして、本当星さん決めるの迷いまくったのだ。
 高校の生物とか化学を真面目に勉強してればよかった~と後悔しまくりである。化学リテラシーのない人間がワクチンをどうするか決めるのは難航する。
 メリット、デメリット、リスク。これらを総合的に考えていくしかない。特にじいさんの場合、高齢者で施設入所者だからその点をよくよく考えなければならない。しかも、大腸ガンと脳梗塞がある。これは基礎疾患があるっていうやつでしょ。
 打つか打たないか。選択肢は2つしかない。まぁ、1回だけ打つという選択肢もあることはあるが、それは除外しておこう。基本2回打つものだ。
 迷う。本当迷う。ああでもないこうでもないと科学リテラシーのない星は懸命に思案していたのだった。どうしよう。どうしよう。どうしよう。でも、決めなければならない。
 「ええい!ままよ~!!」とは言わないが、熟考して決めかねていたのだ。もうこうなったら、こうなったら直観が指し示す方向に従うしかない。もはや、賭けるしかない。じいさんの命にかかわるかもしれない大博打。どちらを選んでも良くない事態が待っているかもしれない。でも、選ぶ。
 最後の決定には迷いがなかった。直観というよりも冷静に決めた感が強い。
 自分で何かを選ぶということ。それには必ず責任がつきまとう。今回のコロナワクチンは誰も責任を取ってくれない。原則として自己責任なのだ。だから、考えに考えを重ねて決めることができて良かったと思う。
 もし悪い結果が起こったとしてもそれを受け止めるだけの覚悟がわたしにはある。
 巷ではわたしはワクチンを打ちますとか、打ちませんとか公表している人がいるが、それってどうなんだろう。それを公表した結果誰かの行動に影響を与えてそちらの方に仮に導いてしまった場合、仮にだが悪い結果になったらその人は責任を取るのだろうか。取れるのだろうか。しかも、専門家で意見が割れていたりすると、わたしたち素人は困惑してしまう。糖質制限についても見解は分かれているけれど、このワクチンの問題はそれとは比較にならないほどの健康問題へと発展していく。命がかかっている。
 自己責任。どちらを選んでも誰も責任を取ってはくれない。だからこそ、熟考して慎重に決める必要がある。
 決めかねたわたしがPSW(精神保健福祉士)のWさんに相談したらこんなことを言った。「自分がしたいと思えないことを大切な人にしない方がいいんじゃないかっていうのが本質じゃないですか?」鋭いWさんである。わたしがワクチンを打ちたいのであればじいさんにもぜひ打ってあげたいし、逆にわたしが打ちたくないのであればじいさんにも打たないようにしたい。それが愛じゃないか。自分がされたくないことは人にしないし、されて嬉しいことは人にもする。なんだ、本質は意外とシンプルじゃないか。
 考えに考えた結果、シンプルなところに落ち着いた。コロナワクチン打つか打たないか、わたしはこうして決めたのだった。


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