花を見ている。
今、目の前に花がある。
明日はどうなっているのだろう?
明後日は? それから先は?
明日のことは分からない。
明日にはもうこの花は刈り取られているのかもしれない。
たしかなこと。
それは今、わたしの目の前にこの花があって、わたしとこの花が同じ時と場所にいて、それらを共有しているということ。
いや、わたしもこの花も本当はいなくて幻なのかも。
たとえ幻でもあるようには見えるし、手でふれようと思えばあるように感じる。
それだけで十分なのかもしれない。
あるだけで。
いるだけで。
今、目の前にある花がすごい薬草でわたしの病気を治してくれるとか、売ると高値になるとか、別にそうでなくても、たしかにこの花は今、わたしの目の前にあって咲いている。
それだけで、それだけでいい。
それで十分。十分すぎる。
この花のおかげでこうして気付きが与えられているから、役に立ってはいるのだけれど、別に役に立たなくたって上等だし、それで十分。
いる。ある。
そのことのすごさに気付かせてくれたこの花に目を留めた人はわたしくらいだと思う。
この花のようにわたしは咲いていたい。
そして、通りすがりの人が一瞬目をやって何か思ってくれるなら、たとえそれがたった一人であっても上出来ではないかな。
蛾が飛んできてこの花の蜜を吸っている。
それでいいのだろう。おそらく。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。