わたしには友人がいない。パートナーもいない。特に女性については一度もお付き合いというものをしたことがない。だからなのだろうか。時々、無いものねだりで、街で友達やパートナーなどと楽しそうに一緒にいる人を見るとうらやましい気持ちになったりする。
でも、いないものはいないのだから仕方がない。なんて開き直ってしまっていいのか? そういう関係性がないというのはわたしの人格に問題があるから? ともかく、見ると、物と同じでほしくなる、というのはあるようだ。
その一方でこうも思う。何かを手に入れることは同時に何かを失うことではないか、と。
友達を作る。すると、孤独ではなくなる。楽しい時間が増える。それはいいこと。
パートナーを得る。するとこれまた孤独から解放される。幸せな気持ちになり、場合によっては新しい家族を作ることもできて幸福感は増していく。
でも、メリットの反面、自分の自由で気ままな時間は失われる。その上、友達やパートナーのことを考えなければならないから、気苦労も増える。一人で好き勝手に過ごすなんていうことはできなくなる。
これはつまり、物を持つことと同じで、持てばそれなりに荷物が増えて自由が利かなくなるということだ。
どちらがいいかなんて答えはない。わたしは今のあり方が気に入っていて別に不足はしていない。母だっているし。これからも独り身でいるんじゃないかな。ま、いいでしょ。軽快で。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。