今、もやもやしている。それも、かなりもやもやしている。何にもやもやしているのかと言うと、自分の文筆についてだ。
今日も迂闊にもこのブログのアクセス数を見てしまった。そこから、そこからなのだ。気分が滅入り出したのは。
いかんせん今日のアクセス数が少なくて一桁。これは、こんなに頑張って更新しているのに、記事だってもう400近く書いているのに一桁って……。もしかしたら、今日は少ない日だったのかもしれない。でも、それにしてもこれは不当な評価ではないのか。こんなに溢れんばかりにいい記事を書いているのに(って自分で叫びたくなる)、この仕打ち。悲しいと同時に怒りがこみ上げてくる。どうしてみんな分かってくれないんだ。わたしの文章を評価してくれないんだ。そんなことを顔が見えない大衆に向かって吠え立てたくなる。
「星、お前の文章は独りよがりなんだよ。それにこの文章離れが著しい時代に無駄に文章が長い。特にお前には人目を引く肩書きも箔も何もない。そんなどこの馬の骨が書いたか分からない文章なんて誰も読もうなんて、読みたいなんて思わないんだよ。自分の無力さを悟れよ。」
こんな仮想の誰かの声が聞こえてくるようだ。たしかにわたしの文章は無駄に長くて、この忙しい時代にどこの誰だか分からない奴の文章なんて読む気がしなくて当然、というのは分からなくもない。
が、ここでふと反論が思いつく。反対意見があるのだ。じゃあ、わたしの母と精神保健福祉士のWさんがほめてくれているのは一体どうなるんだってね。彼女たちはわたしにお世辞を言っているのだろうか。またはわたしの気分を損ねないために気を遣って、良くないものを良かったのだとねじ曲げてくれているのだろうか。二人ともお世辞は言わない。それにWさんはこれでも学識があって学歴からしてもいい学校を出ている。そのWさんがわたしのブログの記事をいつも電話で絶賛してくれている。それすらもデタラメだなどと判断してしまっていいのか。Wさんと母の目は節穴なのだろうか。たしかにそうなのかもしれない。節穴なのかもしれないと認めてみても、じゃあ、その意見を省みなくてもいいのか。無視して見当違いのことを言っているのだと決めつけてしまっていいのか。いや、二人はわたしと現実において接点があるから、その分わたしがどういう人かを知っているからわたしの文章に加点してくれているのだ。つまり、甘いのだ。きっとそうだ。そうに違いない。ってその根拠は? 彼女たちは良くなかったら決していいとは言わない人たちだし、無意識のうちに加点しているかもしれないけれど、意識的に甘く見て点数を加えることはしないだろう。だったらこの二人の評価はあてになるのだろうか。というか、最後は好き嫌いにならないか? 自分が読んでこれは面白かった。これは面白くなかった、っていうだけの話なんじゃないか。出版の世界だって文学賞の一次審査で落ちている作品が大ヒットして売れまくることだってあるじゃないか。って結局、売れるかどうかってことなのか? 売れて大衆ウケすればそれこそが価値あるものなのか? みんなに認められて、SNSで言うならみんなからたくさんの「いいね」を押してもらって絶賛コメントが次々と寄せられる。それこそが価値あることなのか?
それから、母とWさんの二人以外にもぼちぼち毎日何人かの人たちがわたしの拙い記事を読んでくれている。もちろん、彼らはコメント欄にコメントはしてくれない。けれど、読んでくれている。もしかしたらだけれど、数名はわたしのブログの愛読者がいるのかもしれない。隠れ愛読者が。わたしのブログが更新されるのを心待ちにしてくれている人が。
「というか、星、このブログ(hoshi3.net)が始まってから今日まででアクセス数が累計で1万2000くらいいっているじゃないか。この数字を前にしてもお前は誰からも読んでもらえていないなどと言うのか? だとしたら今までに訪問して読んでくれた人たちに失礼なんじゃないか。少なくとも彼らはお前のブログの記事を読んでくれていたんだぞ。」
そうでした。累計で1万2000くらいになるんです、アクセス数が。そうですね。この数字は謙虚な心で受け止めないと駄目ですね。
この1万2000という数字から、今までに読んでもらった字数を計算してみると、一つの記事が2000文字としても2400万文字にもなる。わたしの文章が2400万文字も読まれている。読んでいただけている。これってすごいことなんじゃないか!!
日々の積み重ねでぼちぼち、ぼちぼちアクセス数を積み上げていった。その成果がここには現れている。
たしかに他の人で一ヶ月に何万ものアクセス数を得ている人からしたら、わたしのブログなど閑散としているのかもしれないし、お話にならないのかもしれない。でも、逆に言えば、毎回これだけ長い文章を書いているのにそれでも読んでくださる方がいるというのは有り難いことではないかと思うのだ。さらには、これだけわたしに箔がないにもかかわらず読んでくださっている方がいる。それこそ、もっとそのことに感謝すべきではないのか。足りない、足りない。アクセス数が足りない。もっと、もっと、ではなくて今与えられているものに満足する。あぁ、これも足るを知るってことなのかもしれないなって思えてきたよ。わたしは読者を大切にします。していきたいと思います。
でも、できたらでいいんですけど、コメントしていただけましたら励みになりますので、どうかあたたかいコメントを。批判コメントはご遠慮くださいね。
もっと、もっともいいけれど、足るを知る。与えられているもので満足する。なかなかこれができないけれど、できていないけれど、ぼちぼちやっていけたらなぁと思う星さんなのでした。
ここまで長文読んでくださりありがとうございました。そして、いつも読んでくださりありがとうございます。頑張ります。応援よろしくお願いします。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。