わたしは日々の営みとしてお料理を作っている。三度三度のご飯を毎食しっかりと作ることは無理だから、お昼だけ作るとか、夕食だけ作るみたいな感じではあるんだけれど、それでもよくお料理をしてはいる。
母もわたしも外食はほとんどしていない。でも、母は月に1回くらいは友達と街で会食をしていて、こんな物を食べておいしかったといったことをわたしに話してくれる。
でも、おかしなことにその街で食べた食事よりもわたしが作った物の方がおいしいらしい。そんな馬鹿な。ありえない。だって、街だよ。街の飲食店の激戦区で戦って勝ち残っている店だよ。絶対おかしい。
わたしはシェフでも料理人でもない。調理の資格も持っていないただの素人。そんなお料理歴数年の自己流の男が本を見ながら見よう見まねで作った料理の方が、プロが店で作った渾身の力作よりもうまいと言うのだから訳が分からない。考えられるのはわたしの技術がどうこうではなくて、そのレシピ本の著者である料理人や料理研究家などが日本でもトップクラスの人ではないかということだ。いわば、わたしの料理の師匠がすごすぎて、言う通りに作っただけでそこらへんの料理人の作った物を超えてしまう。つまりは、そういうことなのではないかと。
果たして日本にいるすべての料理人や料理研究家の中で本を出せる人というのはどれくらいの割合なのだろうか? きっと一握りにもならない超エリートなのではないだろうか。だから、普通の料理人などがかなうわけがない。そう考えるともっともだと思えてくる。
でも、高いお金を払って食べた外食よりも、家族が作った料理のほうがおいしいというのは、経済的な面でも断然そのほうがいいものの、そうなるとプロの立場はどうなるわけよ? 値段が高くて、店まで行かなければならず、しかもわたしの手作りの料理と比べてバンバン塩と油を使っていて(わたしはレシピ本に書いてある塩と油の量を健康のためにだいたい半分くらいにしている)、儲けを出すためにあまりいい材料を使っていないから(農薬が多い野菜などの安全性に問題のある材料を使っていそう)体にもあまり良くない。メリットが、メリットがほぼない。あるとしたらきれいなお店で食事をしているという満足感やそれが気分転換になっていることくらいだろうか。
というわけでわたしのお料理はかなりおいしくてほぼ外れがない。もうこうなったらわたしが店を開けばいいのでは? でも、レシピ本を見ながら作っていることがバレて大問題に!! まぁ、盗作みたいなものですな。というわけで、一週間ほどでつぶれましたとさ。っておいおい。結局そういうオチなの? いやはや、こればっかりは仕方がないよな。パクっちゃダメ。パクっちゃ。

80年代前半に静岡で生を受ける。
自称エッセイスト。
吾輩はエッセイストである。収入はまだない。
ほぼ毎日、ヨガの道場へ通ってヨガをやっている真面目そうに見える人。
エロコンテンツがやめられないと未だに悩んでいる人でもある。
この調子だとたぶん今世で悟るのは無理。
また、何気にクリスチャンでもある。
それから時々、どもる。吃音なので。
ブログに閑古鳥が鳴いて久しい。
有名になりたいけれど、なりたくない。
成功したいけれど、成功したくない。
ぶれている。
最近、歳が近い知人に子どもが生まれた。
その人のためではなくて、自分のために積み木をひそかに買った。
まだやっていない。やろうと思っているところ。
積み木遊びを始めようとしているアラフォー男子。
年齢制限が1歳以上なので条件は満たしている。
じきに哺乳びんデビューするかもしれない。
冗談はそれくらいにしておけ。
みんな引くから。
空気を読みましょう。