何かと容赦なく批判をしてくる人。ズケズケと所構わずプライベートな領域にまで土足で踏み込んでくる人。矢継ぎ早に質問してくる人。こちらがまだ話し終えていないのに、自分の話を急いで始める人。だからお前はダメなんだと叱責してくる人。自分のアドバイスをひたすら繰り出して、こちらがそれに戸惑っているのに全然そんなことを気にもとめない人。
わたしはこうした人に心を開いて胸の奥を語りたいとは思えない。もちろん、一分一秒を争う緊迫した現場ならいざ知らず、日々の生活においてこうした人と関わらずに済むものなら関わらずに済ませたいものだと思う。
わたしが最近思うに、人間には安全な人とそうではない人の二種類がいるかと思う。安全な人は冒頭で挙げた人とは対照的な人で、一緒にいてほっとする。心が休まる。まるで温泉のような温かい人。
今のわたしが安全な人かと問われれば、少しは安全な感じになってきたかとは思う。でも、まだ駆け出しで時折危険な一面が顔を覗かせる。分かっている。分かってはいるんだ。人間はそんなすぐには変わらないし、変われない。これでもわたしは努力しているのだ。だから、少しずつでも変わっていきたい。そして、温泉のような、温かい飲み物のような人になるんだ。
そんなまだまだ安全とは言い難いわたしが少しでも安全な人に近づいていくためにと参考になった本の一節を紹介したいと思う。
疲れない話の聞き方
①「同感」ではなく「共感」を意識して聞く。
②相手がどう感じているのか、その「気持ち」だけに集中して聞く。
③あいづちやうなずきも大切だけど、そこにとらわれすぎない。
④アドバイスはしなくていい。
⑤思ったことは、自分を主語にして「ぼくは○○だと思う」と伝える。
(『『聞き上手さん』のしんどいがなくなる本』p84)
この本では人の話を聞いて疲れてしまう人がどうしたら疲れないで聞けるようになるかという方法を教えてくれている。そして、疲れないで相手の話を聞けるようになることが結果的に安全な人に近づいていくことにつながっていくのではないかと本を読みながら思ったのだ。
①の同感ではなく共感を意識して相手の話を聞く、はそうすることによって自分と相手の境界線をはっきりさせて、「あなたはそう思うのですね」と線を引くことによって、相手の感情にのまれずに済む。すると、相手に今まで以上に寄り添うことができるようになるのだ。それもそのはずで、同感してしまうと自分の感情で頭がいっぱいになってしまい、相手の話に集中することができない。そうではなくて、相手を客観的に冷静にいわば「人ごと」としてまるでスクリーンに映し出されたドラマを見るような感じで見る。これが大切だということなのだ。共感を意識して聞くことにより、より丁寧に話を聞くことができるから、話し手に聞き手のこちらをより安全な人だと思ってもらえるようになる。聞き手の感情を差し挟んでしまうこともなくなるため、話し手に満足感を持ってもらうことができる。
さらに④のアドバイスはしなくていい、にはわたしは衝撃を受けたが本を読み進めたら納得できた。本の中には、話の聞き手が承認欲求を満たしたくなるがためについ要らぬアドバイスをしてしまうといったことが書かれていて、極めつけはそれが自己満足でしかないという指摘だった。自分の賢さ、有能さを相手に認めさせたいから、示したいからアドバイスをしてしまうのだと書いてあった。「あなたはどう思う?」とか「あなたはどうしたいの?」とどうしたらいいのかと相手から聞かれた時に逆にこちらが聞き返しても、それでもどうしてもアドバイスがほしいともなれば控え目にアドバイスせざるを得ないかもしれないけれど、基本、答えはその人にあるらしいのだ。それは相手を信頼することであり、相手の力を認めることでもある。
では、話し手が求めていることとは何だろうか。それは「話を遮らずに最後まで聞いてもらうこと」(同書p101)だそうだ。たしかに、これは核心をついていて、最後まで遮られることなく話を聞いてくれる人こそ安全な人なのだ。最後まで聞かずに、ぶしつけな質問を差し挟んだり、自分の話をし始めたり、批判したり、どこかへ行ってしまう。それはやっぱり安全とは言えないよな。安全な人とは話が一区切りするまで、相手が満足するまで話を聞く人なんだろう。聞ける人なんだろう。
だんだん見えてきたぞ。安全な人がどういう人で、どういう風にしたらそうなれるかっていうことが。教会にもみんなから信頼されていて人望があつい人がいるんだけれど、その人は相手の話を最後まできちんと落ち着いて聞いていた。それも批判や自分の意見など差し挟まないで、穏やかに聞いてくれていた。その人もたまにはアドバイスをすることもあるけれど、ほとんどアドバイスのようなものはしないで、こちら側を信じて待っていてくれる。その穏やかさ、人柄から多くの人から慕われている。わたしがその人のようになりたいなら、その人をよく観察して真似をすればいい。そうすれば、一挙手一投足から教えられることはきっとたくさんある。
話を落ち着いて聞ける人。今この時代を眺めると、話を聞いてもらいたい人はたくさんいるけれど、話を聞ける人は少ないんじゃないか。みんな自分のことでいっぱいいっぱいで、とにかく自分の話を誰かに聞いてほしくて仕方がない。そんな世の中だからこそ、わたしは安全な人になりたいんだ。そして、関わる人をほっこりと温かい気持ちにできたらと思う。まだまだ修行中で自分のことでいっぱいいっぱいな時も多いけれど、それでも方向性としてはいいんじゃないかと思う。「最近どうですか? 疲れてないですか?」とホットミルクでも差し出すかのようなそんな人に近付いていけたらいいな。
安全な人は相手のガチガチの武装をほどかせる。別の言い方をするなら平和の人とも言える。安全なほっとする空気を持った人になりたい。そうして、世界は少しずつ、1ミリずつ、確実に平和になっていく。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。