誰にほめられるわけでもなく

いろいろエッセイ
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 わたしがヨガの帰りに途中下車して海に寄ると、よく見かけるおじいさんがいる。そのおじいさん、わき目もふらずにゴミ拾いをしているんだ。
 わたしはそのおじいさんに心動かされて、今までに何回か「ご苦労様です」と声をかけた。すると、そのおじいさんはすごく嬉しそうな顔をして「散歩がてらやっているんですよ」と明るい声で答えてくれる。
 そのおじいさんはそのゴミ拾いをやったところで、お金がもらえるわけでも、ステータスが上がるわけでもない。たぶん、多くの人は海に来てもそのおじいさんには関心を払わないだろうし、感謝されることなんてまずないと思う。でも、おじいさんは今日も海のゴミ拾いを続けている。あの感じだともう何年もやっている感じさえする。
 何かそんな姿を見ていたら、自分がすごく幼稚な人間のように思えてきた。聖書の表現を使うなら、人々の前でラッパを吹き鳴らして、それだけではなくて「上手だね」とか「いい音だ」「感動した」などとほめられることを求める。そして、それが得られないと「何でこんなに一生懸命ラッパを吹いているのに誰もほめてくれないんだ」と怒り出す始末。
 あのおじいさんの爪の垢を煎じて飲んだら不味いけれど(断定)、人徳がわたしとは違いすぎる。見返りがないのにそれでもやっている所がわたしとは大違い。でも、あのおじいさんは逆説的だけれど、誰よりも見返りを受けているんだろうな。いいことをやっているという満足感をね。

 追伸
 あれから海であのおじいさんにまた会った。そして、話をすることができて、何とそのおじいさん、ゴミ拾いをもう20年もやっているらしいことが判明。わたしが20歳の頃からやっているわけか。
 そのおじいさんは明るい調子でこう言う。「ゴミ拾いをやって汗だくになって、家に帰ってからシャワーを浴びるのが最高なんですよ」。そのおじいさんの明るさがわたしを照らしてくれているようで、わたしは会うたびに元気をもらう。
 ほとんど誰からもほめられもしないだろうし、ましてや表彰なんてされてもいないだろう。でも、海辺のゴミ拾いを続けるおじいさん。本当、素晴らしいなって思う。わたしがみんなを代表して表彰してあげたいくらい。
 そんな感じでそのおじいさんはできなくなるまでこのゴミ拾いを続けるはず。
 見返りをすぐに求めてしまうわたしがとても恥ずかしい。以上、追伸でした。

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