線香花火

いろいろエッセイ
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 夏の花火で一番いいなぁって思うのは、ねずみ花火でもロケット花火でもなく線香花火。
 人生って線香花火みたいなものだよね? なんて同意を求めても今一つしっくり来ないかもしれない。
 人生100年時代なんて言われるものの、その時間を線香花火が火花を散らしている時間に置き換えてみると、まぁ、同じでないのという気がしてくる。始まりがあって終わりがあるのだ。
 たしかに線香花火が火花を出して輝いている時、それはたしかに実在しているように見えるし、そのことは誰も疑わない。でも、本当にその火花というか、光は目の前にあるのか? もしかしたらないのでは? そんな不安に襲われる。って、そんなことを言っていても仕方がないから考えない、考えない。却下。
 その夏の線香花火はわたしたちの脳裏に刻まれている。わたしは、それだけでいいと思いつつも、良くないような複雑な気分だ。
 もしも線香花火が永遠に火花を出し続けて、それがいつまでも続いていくのだとしたら、美しいと思えるのだろうか? いやいや、もう見ているのが嫌になってしまうはず。終わりがあって、しかも儚いからこそ線香花火はいいのだ。
 と言いつつも、それはそれとして、人はやはり永遠を求めてしまう。永遠に続く線香花火は嫌だけれど、それでも永続するものに恋い焦がれる。わたしもそんなものを求めてきた。でも、本当にあるのかな? そんな永遠なものって? いや、本当のわたしはもう既に永遠だった、なんてね。

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