夏の花火で一番いいなぁって思うのは、ねずみ花火でもロケット花火でもなく線香花火。
人生って線香花火みたいなものだよね? なんて同意を求めても今一つしっくり来ないかもしれない。
人生100年時代なんて言われるものの、その時間を線香花火が火花を散らしている時間に置き換えてみると、まぁ、同じでないのという気がしてくる。始まりがあって終わりがあるのだ。
たしかに線香花火が火花を出して輝いている時、それはたしかに実在しているように見えるし、そのことは誰も疑わない。でも、本当にその火花というか、光は目の前にあるのか? もしかしたらないのでは? そんな不安に襲われる。って、そんなことを言っていても仕方がないから考えない、考えない。却下。
その夏の線香花火はわたしたちの脳裏に刻まれている。わたしは、それだけでいいと思いつつも、良くないような複雑な気分だ。
もしも線香花火が永遠に火花を出し続けて、それがいつまでも続いていくのだとしたら、美しいと思えるのだろうか? いやいや、もう見ているのが嫌になってしまうはず。終わりがあって、しかも儚いからこそ線香花火はいいのだ。
と言いつつも、それはそれとして、人はやはり永遠を求めてしまう。永遠に続く線香花火は嫌だけれど、それでも永続するものに恋い焦がれる。わたしもそんなものを求めてきた。でも、本当にあるのかな? そんな永遠なものって? いや、本当のわたしはもう既に永遠だった、なんてね。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。