舞台の上に立つ!!

いろいろエッセイ
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 今、ふと思ったんだけれど、この人生って舞台みたいなものだと思う。テレビドラマとか映画とか演劇とか、そういった舞台を思い浮かべてもらえばいい。
 その舞台の上でわたしという登場人物はいろいろな動きをして、いろいろなセリフを喋る。喜怒哀楽を豊かに、舞台を縦横無尽に駆け回る。そして、そんな調子でいろいろあって、物語が展開していって、最後には幕が下りておしまい。それを見終わった観客たちは「今の面白かったね」とか「まあまあだった」、あるいは「こんなつまらないのはもう二度と見たくない」と言うかもしれない。さらには、そのお芝居なり何なりが素晴らしければ、人々は熱狂して「良かった。すごい良かった。感動した!!」とその作り手側に興奮して激しく自分が感動したことを伝えようとする。
 では、わたしという物語はどんな感じなんだろうか。おそらくわたしの、いわゆる「星大地の生涯」と題した物語はあんまり面白くないかもしれない。なぜなら、星さんが30代になるまでの間にはまるでジェットコースターのような、うねるような激しい急展開が連続したものの、それ以降は特にこれと言って大きく見ていて息をのむ展開なんてないからだ。つまり、単調。そして平凡。見ている側としては、やっぱりその物語の主人公が悩んだり、困ったり、絶望したりする様子を見たい。激しい人間関係の移り変わりがあった方が話としてはスリリングになるし、もっと言うなら、主人公以外の登場人物の誰かが死んだりするくらいでなければ(不謹慎な話ではあるけれど)やっぱり面白いとは思えない。起承転結どころか、最後まで何も変化がなく、ひたすらほのぼのしていましたとさ、では面白くないのだ。とにかく話題性がない中身で、ひたすら退屈とでも思えるような日々が続いている。そんな風に見ている人は思うんじゃないかと。
 でも、劇的な何かがほとんど起こらないわたしの人生だってエンタメ的には面白くなくても、演じているというか、やっている本人は結構その平凡さを楽しんでいたりする。読書をしました。ヨガをやりました。瞑想をしました。今日はお料理だって作りました。お掃除をさぼっていたら本当に久しぶりになってしまったなぁ。てな感じでその一つ、一つを楽しんでいる。だから、満更悪くはないどころか結構気に入っていたりするんだ。わたしのこの毎日だったり生活をね。
 人生が舞台の上で繰り広げられるのだとすると、その舞台の上でひたすら寝ている人だっていると思う。舞台の上に敷いてあるお布団の中でひたすら寝ている。おそらくこの人は何かの病気なのだろう。だから、いつもお布団の中にいる。そして、本人はそのことを不本意に思い、葛藤もしているだろうけれど、それでもお布団の中。こういう物語って何も面白いとは思えないだろう。観客からしてみたら「寝てるばかりでなくて何かアクションを起こしてくれよ」と言いたくなってくることだろうと思う。さすがに、寝てます。寝てます。今も寝ています。まるで時間が止まったかのように、お布団の中で寝続けていたら、次第にその物語に飽きてしまって、劇場からそのお客さんは帰ってしまうかもしれない。
 でも、わたしはそれならそれでいいと思う。別にお客さんを楽しませるためにその人の人生があるわけではないからだ。まぁ、そうは言っても、中には、いかに自分のお芝居がウケるかどうかということを何よりも重視して、お客さんと掛け合いをし始めるなんていう人もいるかとは思う。どう見られるか、どう思われるか。それが至上命題であってそれ以外に大切なものなんてない。そういう人はもちろんいかにウケるかを考えてくれればいいと思う。別にこの人生という舞台にこうでなければならない、という決まり事はほとんどないに等しいのだから。
 人生という舞台でひたすら寝続けている人。しかし、この人は寝ながらものすごく激しい物語を心の中で人知れず紡いでいるかもしれない。本当は布団から出て活発に活動して明るく生きたいのかもしれない。あるいは、そうした精神的なことが理由で布団の外に出られないのではなくて、体の調子が悪すぎて、または体が動かなくてとにかく寝続けているだけなのかもしれない。ともかく、それは本人が一番よく分かっているはず。本当はこうしたい、これがやりたいといった思いがあるのにそれができないでいる。
 人生の価値ってそもそも何なんだろうか? この人生は舞台だ、というたとえであれば、多くの人をその人生という物語で感動させた人が優れているのだろうか? たしかにそういう人の生き様は人を感動させる。人に感銘を与えて、影響を与えて感化させる。でも、それができなくても価値はきっとある、と思う。というか、思いたい。というか、人を感動させるどころか、見ている人を不愉快にして吐き気を催させるような舞台、つまり人生もあるとは思う。それも良しとしてしまうことは簡単にはできない。でも、わたしは綺麗事を言っているだけかもしれないけれど、それでもそんな人生であっても、少なくとも言えることは、それでもその人は一生懸命だったっていうこと。それがいいとか悪いとかジャッジすることを一旦脇へ置けば、それでもその人は懸命に生きていた。それだけはたしかなことだと思う。何かを頑張れなくてふしだらで自堕落な生活を送っている人だって、心のどこかでは満たされない思いを抱えていたり、たとえわずかな時間であっても「このままではダメなんじゃないか」と危機感だったり、変わりたいと思ったりしたことはあるはずだと思う。だから、どんな人も一生懸命生きている。たとえそれが周りとか世間一般から見て、ふざけているようにしか見えなくてもその人なりに懸命に生きているんだ。
 わたしが働いていないと言うと「ダメじゃないか」と説教し始めたり、顔をしかめたり、批判をぶつけてくる人というのはいる。でも、それは結局のところその人の一つの見方であり意見でしかないように思うんだけれど、またこう言うと「だからダメなんだよ」とおそらく誰かが言ってくることだろう。でも、わたしは世間一般の価値観なんかで見た時には、何もやっていなくて、何もできていないダメな人間かもしれないけれど、それでも一つ言えることは生きているということであって、それは要するに生きるという仕事をやっているということだと思う。
 生きているということ。それは人生という舞台に立っているということ。どんなにその舞台の上で寝ているだけだったり、遊んでいるだけだったりしても、その舞台には、舞台の上には立てているのだ。だから、その舞台から降りる時というか、それが終わるのは閉幕で、舞台のカーテンが下りた時なんだ。それまでは遊んでいようが、ふざけていようが、何も一生懸命に何かをやっていようがいなかろうが、ともかくその舞台には立っている。それもしっかりと立てている。けれど、人というのは相手に要求するもので、その人が舞台に立っているだけでは飽きたらず、「しっかりやれ」とか「何か面白いことをしてみろ」、挙げ句の果てには「俺たちを感動させてみろ」とその舞台上の主役に迫る。
 でもわたしは思うんだ。その舞台の上でどんな姿であれ、どんな様子であれ、そこに立って舞台上にいるのであれば、それでいいんじゃないかと。舞台の上にいるのがつらいとか苦しいとか言って、舞台の上から飛び降りていなくなってしまう人というのは一定数いるわけだけれど、何もそこまで誰かから求められたように(自分からでもあるかもしれない)応えなくてもいいじゃないの。舞台の上で放棄せずに立ち続けて、この人生という舞台を続ける。ただそれだけでいいんじゃないか。人はとかく高いものを要求しがちだけれど、まずはこの人生という舞台を続けること。ただそれだけでいいとわたしは思うんだ。だから、極端な話、その舞台の上で何もしなくたっていい。寝ていたければ寝ていればいいし、うずくまって体育座りをしていたいのであればしていればいい。少なくとも自分や誰かを舞台上から抹殺しようとしたり、迷惑や危害さえ加えなければそれでいい。
 みんな、自分が主役の人生という舞台に立っている。だから、できることならこの舞台を楽しんだらいいんじゃないか。一度しかない舞台だもの(いや、何回も輪廻転生のごとく繰り返している?)、楽しまなくっちゃ。お客さんを楽しませるかどうかはともかくとして、まぁ、自分がまずは楽しもうよ。
 この記事を書いていたら、わたし主演の舞台、面白くしていきたいなぁって思った。舞台は、物語はまだまだ続きますよ。続きを乞うご期待!!



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