オムレツ道

いろいろエッセイ
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 最近、と言ってもまだ3日目だけれど、始めたことがある。それは、オムレツ作り。いやはや、星さん、チャレンジ精神旺盛なわけでして、オムレツにも挑戦なのです。
 初挑戦ではなくて挑戦と書いたのは、今までにも自己流では一応時々は作っていたのです。しかし、うまくいかない。いかんせん、うまくいかない。やはり自己流ではこうした技術系のものはうまくいかないので、自己流をあきらめて上手な人のマネをすることに決めたのでした。
 で、卵料理の本を買いオムレツ道を歩き始めたわたし。本当、オムレツって道だと思う。カメラマンとか文筆家と同じく、一応下手なら下手なりにやることはできるんだけれど、それは道であってどこまでもどこまでも探究して深めていくことができるのだ。
 ホテルニューオータニのシャフが指南してくれるこの本を読んでいくつか目からうろこなことがあったのでそのことにふれていきたいと思う。
 まず、卵の個数なんだけれど3個なのだ。結構がっつり卵使うんですね、って感じなのだ。18cmのフライパンで焼いて、卵は3つ。この3個、という個数を導き出すためには先人たちの苦労や失敗がある。1個でも2個でも、あるいは4個でもなく3個。ここにおそらく黄金律があると思うのだ。というわけでわたしはちゃんと指示通りに3個の卵でやってみることにしたのだった。
 次に意外だったのは、牛乳や生クリームや豆乳などを入れないという点。入れるのは塩、コショウのみ。それ以外は入れません、てなわけなのだ。これは卵そのものを味わってもらうための配慮なんじゃないかっていう気がする。
 で、もっともカルチャーショックを受けたのが、卵を溶いて、それをこし器でこすということだった(わたしの場合、ざるで代用)。しかも、かき回す時には泡立て器でやるのだ。この2つ。この2つを自己流の時には守っていなかった(というか知らなかった)。実際、泡立て器でかき回してこしているからだろうか。出来上がったオムレツが実になめらかなのだ。この一手間、この一手間が決定的なおいしさの差を生み出す!! これぞシェフ直伝なのである。あと卵はしっかりとかき回すんだけれど、メレンゲを作るときのように空気をめいいっぱい含ませないようにする(気泡でぶくぶくにしないってことね)。おだやかに、しかし、しっかりと混ぜ合わせる。そこがどうやら重要なところらしいのだ。
 そこまで本を読んだわたしは早速作りたくなってスーパーに卵とバターと18cmのフライパンを買いに行ったんだけれど、フライパンがない。フライパン売場に一応たくさんフライパンはあるものの、18cmというのがないのだ。なかったのだ。仕方ない、とその日は家にある20cmのフライパンで渋々作ったけれど、こういう時はネットの出番。ネットでAmazonを開いて「フライパン 18cm オムレツ」と検索するとざくざく出てくる~。で、レビュー件数が多いフライパンを注文、確定。フライパンに2400円って高いんでしょうか。それとも安いんでしょうか。しかし、お姉さんのいるお店へお酒を飲みに行くことを考えれば真面目な使い道でしょう、と自分に言い聞かせて納得させるのだった。おいしいオムレツが作りたい。そのためにいいフライパンを買うだなんて律儀でけなげな話じゃないですか。一緒に住んでるおっかさんも喜ぶことでしょうし。真面目ちゃんだな。
 それはともかく、オムレツで一番難しいというか、オムレツ作りの中心は焼くことにある(って当たり前ですが)。これが難しいのですよ。何でもわたしが買って参照しているホテルニューオータニのシェフの本によれば、フライパンをトントンできるようになるには個人差はあるものの3~4年はかかるらしいのだ。まだ3年とか4年どころか3日目のわたしにそれが上手にできるわけもなく、見よう見まねでトントンしてる感じなんだけれど、難しいなぁ。これは、これには技術がいる。一朝一夕では無理でしょう、みたいなものなのだ。けれど、注文したフライパンが届いてそれを使ってみたら割合きれいにできたのだ(見よう見まねのトントンで結構形を整えることができた)。もちろん、本に載っているシェフが作った見本のようになんてできるわけがない。それは無理としてもようやくオムレツの形らしくなってきたのだ。道具ってやっぱり大事なんですね(写真を撮るの忘れた。母もわたしもお腹がすいていて)。
 あとはこの本を熟読してオムレツの焼き方をしっかりと頭に入れることはもちろんのこととして、YouTubeの動画なども見て研究していくことだな。
 それにしても今朝、新しいフライパンで作ったオムレツは本当においしかった。まさに至福のひとときで、母と共にうなってしまったよ。だって中がトロトロで、全体はもちろんしっとりとしていておいしいんだもん。
 オムレツを上手に焼けるかどうか。別にオムレツなんかうまく焼けなくても生きていくことはできるし、オムレツ屋をやっているわけでもないので技術がないことが死活問題だというわけでもない。けれど、オムレツ一つにしてもこういう何かができるようになる、できるようになっていくのって嬉しいよね。で、その果実というか、出来上がったオムレツをおいしくいただくこともできる。こうして一つひとつ何かをやっていくことによって、生活の質は高まっていき上がっていく。母もわたしが今朝作ったオムレツを嬉しそうに食べていたっけ。
 あぁ、何だかホテルニューオータニへ行ってオムレツを食べたくなってきたよ。わたしにとっては師匠、雲の上の存在であるシェフが作ってくれたオムレツってどんな食感なんだろう。どれくらいの固さ、やわらかさで焼き上げているんだろう。中の半熟はどんな感じなんだろう、などとまだ食べたことのないシェフのオムレツを想像する。だから、わたしの目の前には果てしないオムレツ道が突如現れて、そして広がっている。わたしはその一歩目を歩き出したところなんだ。
 まぁ、ぼちぼちオムレツを作っていきたい。本当は一日にオムレツを10個くらい作りたいところなんだけれど、そんなに作っても食べきれないし、「卵の食べ過ぎは体に悪いからオムレツは一日に1個くらいにして」と母から言われてそれもそうだなと思ったわたしなのだ。人生は長い。これからいつまでオムレツを作り続けられるかは分からないけれど、オムレツ歴10年ですとか、20年ですとか言える日がやってくるのかな? その頃にはオムレツ作りも熟練の域に達していて(まさにベテラン)、今よりも格段に上手に作れるようになっていることでしょう。
 何かをやる。やってみる。そして、そこから無限に広がっていく。その繰り返しで人は成長していく。成長していける人であり続けたいなと思うわたしなのであった。

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