疲れたら

いろいろエッセイアーユルヴェーダ
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 わたしの悩みと言ったらオーバーなのかもしれない。でも、一応、人知れずもっと良くならないかなぁって思っていることがある。それは疲れやすいということだ。
 精神疾患の人によくあるお悩みとして、疲れやすい、すぐにバテてしまう、といったことがある。わたしもその例外ではなくて、何か活動をするとすぐに疲れてしまう。精神疾患になる前には平気でひょいひょいできたことが今ではできないし、まぁ、年齢的な年っていうこともおそらくはあるのだろう。ともかく疲れやすくて、そういう意味でまるで疲れ知らずのような人がうらやましいのだ。そんな頑健な肉体をわたしも持ちたい。そうだな、ヨガを一日2~3時間やっても大丈夫なくらいの体力をつけたいな。って今は20分でへばっておりますけれど。
 わたしももしかしなくても若くはないのかもしれない。気持ち的にはまだ20代の後半くらいのつもりではいるんだけれど、年々体力の低下をひしひしと感じる場面が増えてきた。
 疲れ知らずになりたい。その心意気というか気持ちは前向きでいいのかもしれない。でも、疲れというものをよくよく考えてみると、疲れとは自分自身の体が発している黄色信号、つまりは注意信号っていうことなんじゃないか。これ以上、これを続けていくと赤信号になってへばって動けなくなりますよ。調子を崩しますよ~、っていう信号なんじゃないか。それを体育会系だったら、限界は乗り越えてこそだ。その手前までしかやらなかったら一向に成長なんてしない、などと激を飛ばすことだろう。でも、わたしは体育会系でもなければ、スポーツ選手でもない。オリンピックの金メダルを狙っているとか、輝かしい新記録を出さなければならないとか、どうしても勝たなければならないなどというわけでもない。ただ控え目にもじもじと「もう少し活動できるようになりたいんですぅ。体力を付けたいんですぅ」と言うだけの人でしかない。
 と言いつつも、今年の5月からヨガを始めたわたしの体はだいぶ鍛えられてきたようで丈夫になってきた。前はスーパーで大量の食料品を買って家まで歩いて持って帰る時に、ヒーヒー言っていたのが言わなくなったし、「まだ余裕ありますけど」といった感じにもなってきたのだ。その頃の、ヒーヒー言っていた頃のわたしからしたら、今のわたしはかなり強くたくましく見えることだろう。「たくましくていいですね」っておそらく言うことだろう。スーパーで買った物の重さはおそらく変わっていないのに、それを大変に思わなくなったというのは、言うまでもなくわたしの筋力が上がったということだ。体幹などのインナーマッスルも含めて筋力が向上したということだ。
 ということは苦しいことも必要ってこと? 楽ばっかりしていたら筋力も体力もどんどん落ちて下がっていってしまうということ? 体は使わないと衰える、って言うじゃないですかってなことなのだろう。
 疲れたら休みましょう。それはもっともだ。あ、そうか。疲れたら休むんだけれど、しっかり休んでチャージしたら、また日々の活動に精を出していきましょうっていうことなんだろうな。できるだけ、と言いつつもやりすぎても何だから、適度にやる。適度に自分が心地いいと思える程度に取り組む。で、時々はきつい運動もする。で、やり終えたらしっかり休む。その繰り返しがおそらく理想的なのだろう、と言いつつも何だか説得力がな~い。ただの星さんの個人的な意見でしかないな、これって。でも、思うのは、一日の終わりまでアクティブに活動できるだけ活動して、そして休むというのがいいんじゃないかってことだ。もちろん、途中でどうしても休みたくなった時には休んでいいし、何が何でも一日中、歯を食いしばってやれということでもない。
 疲れたら休む。疲れていてもう限界以上までやっているのに、それでもまだできそうだからとやったらきっと次の日に動けなくなる。人生は短距離走ではなくて長距離走のマラソンなんだ。だから、一時的にとばしても長い目で見たらかえってそれでペースを乱してバテてしまって、ぼちぼちやっていたほうが明らかに先へ進めていたということになりかねない。でもね、そのマラソンの中でインターバル走法みたいにダーっと飛ばして、ゆっくり走って、またダーっと飛ばして、またゆっくりと……とそうした走り方をするというのもありだと思うんだ。また飛ばして飛ばして飛ばしまくって、それから長期休暇(?)っていう走り方もありだ。でも、それよりはぼちぼち走った方がいいような気もするんだけれどね。あるいは走るのが大変だからとお散歩のような歩き方をするというのも一考。
 最後にインドの伝統医学であるアーユルヴェーダでは疲れた時、どうするのか本から簡単に引用してこの文章を終わりにしたいと思う(手抜き疑惑?)。

 疲れやすい
 カパやヴァータの異常に、ときにはアーマ(注:未消化物のこと)の蓄積が加わって疲労になります。大抵はアグニ(注:消化力のこと)が弱っており、その結果、オージャス(注:食物から得るエネルギー)の低下が起こって疲労感が出てくるのです。そのため、カパやヴァータの蓄積を鎮静したり、浄化したりすることが必要になります。またアーマを消化しきることも、浄化療法の過程で必要になります。

 鎮静療法
 労働などによる疲労が原因でヴァータが乱れたときには、休息が必要です。体を温めるためにサッと入浴したり、温めたゴマ油でオイルマッサージをすると効果的です。また、甘いサツマイモや黒砂糖、甘草、ショウガ入りのハーブティーなどをとるとよいでしょう。
 朝から体がだるい場合は、カパの乱れが考えられます。熱めの湯で入浴してサッと体を温めた後、ガルシャナ(乾布摩擦)で皮膚を刺激しましょう。入浴時にはスパイシーな香りをきかせるのもよいでしょう。また、アメリカンコーヒーを軽く一杯飲むというのもよいでしょう。
 朝食は温めた牛乳(もしくは豆乳)にショウガ、ウコン、シナモンなどを入れたものだけにします。夕食は量を少なくし、揚げ物や肉類を控えましょう。心のドーシャの乱れに対しては、瞑想と呼吸法、ヨーガのアーサナ(ポーズ)が効果的。毎日少しずつでも続けましょう。

 浄化療法
 ショウガや白湯飲みを励行します。夕食を軽めにするなどして、食べたものを完全に消化させるよう心がけましょう。
 ピッタやカパの乱れがある人は、家庭でできる浄化療法(週末半断食など)を行ってもよいでしょう。ただし、ヴァータのアンバランス度が高い人は控えてください。半断食によって空腹を感じるときには、細胞が栄養不足を感じています。オートファジーが進み、体内の異常細胞が浄化されていると考えられるのです。
(注:ヴァータ、ピッタ、カパは体のエネルギーのことでこれらのバランスが崩れる時に人は病気になるとアーユルヴェーダでは考える。)

上馬場、西川『新版インドの生命科学アーユルヴェーダ』p97~98


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