未来はどこまでも明るい

いろいろエッセイ
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 わたしは独身だが別にこれはこれでいいと思っている。結婚に対して漠然とした憧れはあるものの、切迫感のようなものはなくただなるがままになっていくのだろうと楽観している。
 こういう問題はとてもプライベートな問題だ。だから、独身の人に「いつ結婚するんですか?」とか「どうして結婚しないんですか?」と聞くのはまさにハラスメントで、世の中も変わってきたように思う。
 わたしは今年の9月で38歳になるとはこのブログでも何回か書いたので、もう知ってるよと言いたくなるかもしれない。38。昔の結婚観から言うのであれば、婚期を逃している部類に入っていたことだろう。
 単に生殖という観点だけから考えた場合、女性は50歳くらいで閉経するし、年齢が高くなるほど妊娠・出産するのが難しくなるから、女性は若いうちに子作りした方がいいということになる。
 でも、そんなことを言うのはまさにセクハラで言語道断であり本人が自分で決めることだと言われるようになってきて、わたしもそう思う。
 男性の場合は生殖能力は割合高い年齢までも保たれるから、などと生々しいことを言うのはやめて、とにかくわたしが言いたいのは38というのはなかなか熟したお年頃だということだ。どこを基準にして若いとかそうじゃないとか言うのかははっきりとしないが、20代に比べればだいぶ歳が行っている。
 でもいいんじゃないか。別に子孫を残すことだけがわたしの人生の目的ではないし、使命でもない。人それぞれライフスタイルがある。生き方がある。だから、いいのだ。
 自分の子ども。ベイビー。考えたこともなかった。自分の子どもを持つのってどういう感覚なんだろう。独身のわたしは未知の領域に想いをめぐらすような気分になる。自分が父親、パパになる。そして、自分の子どもから「お父さん」あるいは「パパ」と呼ばれる。それってどんな感じなんだろう。得体の知れない未知の領域である。
 とまあ、いろいろ考えてはみるのだが、「分からん」の一言である。まだ父親にはなっていないのだから。
 と言うよりはその前にわたしは女性とお付き合いすらしたことがないのだ。だから、父親ってどんな感じだろうとかいうのは、まだまだ遠い先の話のように思えてならないのだ。果たして自分が、この未熟で半人前の自分が父親になる日がやってくるのか。大いに疑問である。
 だから、わたしがやってみたいこと。それは女性とお付き合いをすることなのである。まずは、そこから。それからパパとか父親になるとか、そういった話が出てくる。つながってくる。
 だが、一方で不安もある。果たしてわたしにそんなことができるのか。ちゃんとやっていけるのか、という不安である。何せ、自分のことだけでも今は精一杯なのだ。そんなわたしが女性と健全なお付き合いをして、それから結婚して、健全な家庭を築いていくことができるのだろうか。精神障害の厄介さと言ったらいいのだろうか。わたしにはそんなことできないんじゃないか。無理なんじゃないか。そんな不安がこんこんと沸き出してくるのである。
 そういう人は結婚など考えないこと。家庭を持ちたいなどと思わないこと。パートナーも気の毒だし、将来生まれてくる子どもにも失礼だよ。そんなことをしたり顔で言ってくる人もいるかもしれない。
 でも、そこまで言われるとしたら、それはハラスメントではないだろうか。
 わたしは不安だ。それはまだ自分が夫になったこともなければ、父親になったこともないからだ。そういった経験がないからだ。
 世の家庭を持っている一般男性の皆さん方もきっと最初は「俺に果たしてできるのだろうか」と程度の差こそあれ不安があったのではないだろうか。逆に不安がゼロとかいうのは、危険な状況に何も準備をしないで飛び込んだりしてしまうわけだから、多少の不安があるのは普通のことであり、いや、むしろ不安は必要なのではないだろうか。不安は人を堅実にさせる。(不安の程度がはなはだし過ぎて不安障害になるほどだとしたら問題だが。)そんな風にも思えてきた。
 わたしは何が不安なのか。
 まず、経済的なことが不安だ。果たしてわたしが仕事を持ち家族を養うことができるのか。家族に普通の生活をさせるだけのお金を稼ぐことができるのか。その点、不安だ。
 でも考えようによってはそこはパートナーと相談するところだ。星さんが必ずしも一家の大黒柱となって生計を立てなければならないわけではない。パートナーに稼いでもらって自分は専業主夫をやるという生き方もあるからだ。男が必ずしも稼がなければならないわけではないのだ。
 仕事。将来に向けてできそうな仕事をぼちぼち探していくことにしようか。
 次に不安なのは、自分が精神障害で体調が悪くなってどうしようもなくなったら、どうしたらいいのか、という不安である。ちゃんと夫としての役割と、父親としての役割を全うすることができるかどうか、ということが不安なのだ。わたしは責任感が強くて真面目な人間なのだろうか。何かいい夫、いい父親でありたいという気持ちが女性とお付き合いすらしたことがないこの段階で強いのである。
 わたしが不安なことは大きく挙げてこの2つなのである。つまり、ちゃんとできるかどうかが不安なのである。のしかかってくる責任に対してちゃんと責務を果たせるかどうかがとにかく不安なのである。
 何とかなる。何とかなるものなのだろうか。
 わたしは「何とかなる」という言葉が好きなのだが、その言葉の通り、物事は何とかなっていくものなのだろうか。ちとこの言葉に頼るのが頼りないような気もするものの、何とかなるのかもしれないと思いたい。いや、何とかしていくんだ。最終的には何とかしていこうとして何とかなるんだ。何とかならなかったとしても、何とかならなかったなりに何とかなるんじゃないか。そんな楽観というか風任せというか、そんなことを思い始めた星なのである。
 たしかに今がある。そして、何とかなってきたから今があるのだ。何とかならなかったこともならなかったなりに何とかなったから、今があるのだ。
 あぁ、とても気持ちが楽になっていく。解放されていく。
 すべては神様から来る。だから、貪欲に粘り強く祈り求め続けていけば、きっと与えてくださるだろう。それで、もしも万が一与えてくださらなかったとしてもそれが御心なのだろうから、そうなったとしたらそうなったで諦めがつく。すべては神様のみ心のままになのである。
 10年後どうなっているのだろう。未来のわたし。もしかしたら結婚していて、子どももいて家庭を築いているかもしれない。あるいは、今のような生活が引き続き続けられているのかもしれない。それは分からない。でも、きっと神様が用意してくださる未来には希望があふれている。そう信じてやっていけたらと思うわたしなのであった。未来は明るい。どこまでも明るい。

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