今日は7月1日。この記事がアップされる頃にはもう8月になっているかもしれない。毎日、その日にブログの投稿をしているように見せかけて、まとめて何日分か予約投稿しているわたしだったりする。
今日、精神保健福祉士のWさんのことを少し考えていた。彼女が仕事を休日返上してまでやっていることがどうしてわたしにとって不快なのか、やっと理由が分かった。それは自分にとって大切な人に「それをやめた方がいい」と言っているのに、それでもやめようとしてくれなくて、その人が自分を傷付け続けているから。だから、わたしの心配している気持ちが大事にされていなくて不快になっているんだと思う。
でも、今日インド哲学の本を読んでいたら、まぁ仕方ないかなって思えてきた。わたしがワーワー言ったところで、Wさんが納得して自分でそうしようと思わない限り、きっと現状を変えようとはしないだろうから。
心配していることはしている。どうしているかなとは思っている。けれど、物事は成るようにしか成らなくて、それに万が一、予想外の最悪の事態が起こっても、すべては波だからWさんという波がまた海へと還っていくだけ。とまぁ、冷たいようだけれど、それくらいの気持ちでいる。
同じように母にも元気でいてほしいと願っている。できたら、いつまでもこの幸せな時が続いてほしい。でも、いつかは死に別れなければならない。その時にどれほど落胆することかわたしには想像することさえできない。
そうなったらその時はその時。それでもわたしは生きていく。

80年代前半に静岡で生を受ける。
自称エッセイスト。
吾輩はエッセイストである。収入はまだない。
ほぼ毎日、ヨガの道場へ通ってヨガをやっている真面目そうに見える人。
エロコンテンツがやめられないと未だに悩んでいる人でもある。
この調子だとたぶん今世で悟るのは無理。
また、何気にクリスチャンでもある。
それから時々、どもる。吃音なので。
ブログに閑古鳥が鳴いて久しい。
有名になりたいけれど、なりたくない。
成功したいけれど、成功したくない。
ぶれている。
最近、歳が近い知人に子どもが生まれた。
その人のためではなくて、自分のために積み木をひそかに買った。
まだやっていない。やろうと思っているところ。
積み木遊びを始めようとしているアラフォー男子。
年齢制限が1歳以上なので条件は満たしている。
じきに哺乳びんデビューするかもしれない。
冗談はそれくらいにしておけ。
みんな引くから。
空気を読みましょう。