気付き始めてる?

いろいろエッセイインド哲学
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 中学生の時にふと感じた満たされない気持ち。その正体がやっと今頃になって分かった。それはすべてが過ぎ去ってしまうことへの空しさのようなものだったのだ。
 どんなにおいしい食事も、楽しいゲームも、お祭りも、つまり、どんなことにも終わりがある。それがどこか寂しくてそのことに不満のような何か言いしれぬ感情を抱いていた。その時間が楽しければ楽しいほど、それが終わると力が抜けるというか、我に返る感じで「あぁ、終わってしまった」と思う。
 中学生のわたしは心のどこかで永遠というものを求めていたのかもしれない。終わることのない、ひたすら続く歓喜の時を。
 でも、そんなのはこの世界というか、日々の日常にはないことが分かった。すべては無常で変化して始まりがあれば終わりがある。永遠の至福なんてものはない。
 だからこそ、わたしは永遠というものに憧れてキリスト教の洗礼も受けたのだろう。キリスト教を離れた今も、悟って解脱して永遠に安らぎを得られたらいいなぁと思うわけで、結局永遠がほしいっていうことなのだろう。
 でも、インド哲学のヴェーダーンタを学び始めて、もしかしたらそんな手に入れようとしなくても、もう既にわたしはその永遠であって、ただそのことに気付いていないだけではないかという気がしてきた。この「気がする」というわたしの直感。ヨガの先生は「すごく大事だよ」って言ってた。気付き始めてる? どうなんだろ?

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