気分というものは、気持ちというものはグルグル、グルグル、それはそれは目まぐるしく回っている。
何でこんなことを書くかと言うと、わたし自身、意識があっちこっちに飛んでいるからだ。何も意識が飛んでしまってトリップしているとか、そういうわけではない。でも、数時間前に考えていたことが今となってはほとんど跡形もなく消えていて、不思議だと思うと同時に怖く感じさえする。
今朝、わたしはゴミ出しに出かけた。我が家のごみを出しに出かけたのだ。で、帰りに昨日買ったばかりのおニュー(死語? 新しいという意味)の靴の履き心地を試してみたいと往復で40分ほどの散歩へと出掛けた。そうしたら途中、鳩(はと)レースか何かに参加するとか何とか言うおじさんが道に鳩を下ろしていた。その鳩はかごみたいなものに大量に入れられていて、みんなそのかごの中でくっくくっくしていた。聞くとこれで(3~4かごはあったかと思う)50羽あまりだとのこと。でも、わたしが興味をそそられたのは、その鳩とか、それをやっているおじさんとかではなくて、そのおじさんに質問していた女性のことなのだ。
その30代かもう少しいったくらいの、いって40代くらいの女性はわたしよりも先にそのおじさんのところに行っていて、とても興味津々とばかりに、次から次に質問をしていたんだ。で、何やら盛り上がって話をしているようだったから、わたしも足を止めてその話の輪に参加したというわけだ。
その女の人がすごくキラキラしていたように感じた。何というか、人が自分が興味のあるものを目の前にした時、まるで子どものように目をキラキラ輝かせてそのことに没頭するような、そんな調子で、わたしはその女の人に少しばかり見とれていた。一番いい表情をしていたというのが正確だろうか。わたしはここまで鳩とか鳩レースのことに目を輝かせて話をしているような人に今まで会ったことがない。大抵の、多くの人というものは日々の現実生活に疲れて特段そういったことに興味を持ったり、目を輝かせたりなんてしなくなっている。電車でスマホを見ている不機嫌そうな女性とは明らかに違う魅力というか、ひきつけられるものがあった。と、わたし自身、最近アシュタンガヨガを始めたものの、あそこまでキラキラした好奇心全開の表情なんてしていなかったと思う。でも、彼女は本当に天真爛漫にその鳩を運んでいるところだというおじさんに話しかけてそれはそれは目を輝かせていたんだ。これを見て思ったのが人って何かに目を輝かせることができなくなった時、老いていき老けていくんだろうなってことだった。わたしももう今年で40歳で四十路なわけだけれど、何か彼女を見ていたら好奇心って失っちゃダメだなって思った。わたしも何かに目をキラキラさせていたい。そして、天真爛漫にまるで子どものように無邪気に冷めた目なんかしないで喜びたい。きゃっきゃっきゃっきゃっと喜びたい。
それからわたしはその女の人に特段何かアプローチをするわけでもなく、まるで通りすがりのすれ違いになった人のように別の道へと分かれていった。でも、素敵な人だった。わたしもあんな人になりたいな。子どものような無邪気さを忘れずにいつまでも遊ぶ気持ちを忘れない、そんなピュアな人に。
そして、帰ってきたらヨガをやった。アシュタンガヨガでは朝はヨガをやる時間と相場は決まっているのだ。今チャレンジしているポーズは、ウッティタ・ハスタ・パダングシュタアサナという片足立ちになっていろいろ足を広げたり何なりするポーズで難しい。でも、あまりにも体が固いわたしのために先生は完成形のポーズではなくて変形ポーズを教えてくれた。で、それをやっているわたし。が、これはヨガで有名な片足立ちになる木のポーズよりもムズい。なぜなら、木のポーズと比べて断然片足でいる時間が長いし、あんな短時間ではない。合計で15呼吸する間、片足で立っていなければならない。こ、こ、これは自転車を思い出しますよ。幼き星少年が悪戦苦闘して何度も何度も倒れては立ち上がり、倒れては立ち上がったあの自転車に乗るための練習を。片足で立つ。立とうとする。が、ちょっとすると、片足で立ちながら足を額につけようとすると、グラっとバランスを崩す。自転車だ。これは自転車だ、おそらく。でも、自転車とは違ってもう大方できてはいる。やることと言ったらとにかく慣れることと足の筋肉の強化だろう。普段、片足で立つなんてやらないから、もう、少しこのポーズをやっているだけで足がプルプルしてくる。ガクガクまではいかないけれど、それに近いような状態になる。
ヨガを終えて両足で立ちながら感じたのは、何て両足で立つのは楽なんだ、ということ。こんなに普通に立っているのが楽だと感じたことはございません。いやはや、ヨガの賜物ですな。普段の動きが楽になって、快活に動けるようになる。まぁ、これはヨガをやることによるおまけみたいなものだけれど、ありがたく受け取ることとといたしましょう。
そんなわけで1時間半くらい何だかんだヨガをやっていた。が、星の一日はまだまだ始まったばかり。
と、今度はスポーツショップへ行くことを思い立つ。最近、adidasにこり始めているわたしはジャージの上に着るジャケットとかダウンコートみたいなものをほしいなと思って出掛けたんだ。が、やすやすとそのショップまでは行けない。何と歩いて片道50分かかるのだ。別にそんな苦労なんてしないでネットでポチればいいのでは、というのはもっともでそれこそが合理的な生き方だとは思うのだけれど、あえてその合理ではなく非合理を取ることにしたのだ(って何でなんだろう? そいつはわたしの深層心理にでも聞いておくれ。わたしには分からんよ)。
というわけでして、スポーツショップへレッツらゴー。普段、往復で全部で40分くらしか歩いていないわたしにとってこの片道50分、往復で1時間半あまりというのは案の定きつかった。
何かね、誰とも話をすることもなくただ黙々と歩いていると、まるで自分が砂漠の中にいてオアシスでも目指して彷徨っているかのような感覚に襲われてくるんだ。そして、調子が悪くなってくる~。だんだん現実感がなくなっていく~。やっぱりわたしの統合失調症は完治してはいなかった。というか、出掛ける前にやらんでもいいのにネットを1時間あまりやったのもまずかったみたいだな。要らんことをしているわたしなのです。その1時間あまりのネットで、行こうとするスポーツショップのだいたいの位置と所要時間、ならびにadidasの商品の概要とやらをチェックしたわたし。で、やっていたら良さそうなコートが。けれど、保留してとりあえずリアルのスポーツショップへ行こうと思い立った、というワケ。
けれど、アシュタンガヨガをやるようになってからのわたしはネットで不調になることはなくなっていた。たしかにネットをやると気持ちが少しばかりダウンするのは感じるものの、それでも不調になることはなかったんだ。
そうこうして50分くらいの時間が流れて無事とうちゃ~く。う、広いですぞ、これは。迷子にならないようにしなければと思いつつ、だいたいショップの概要をぐるぐる見ていたらつかめたのでお目当てのadidasのコーナーへ。トレーニングウェアのところにありました。ありましたよ、ダウンジャケットが。けれど、実際に着てみたら、しっかりしすぎている(どういう文句の付け方だよ)。もう少し、気持~ちうすめがほしいわけなのよ。が、しっかりあったかいみたいな感じで重いしかさばるしでお目当ての感じとは違う。
でも、見に来て良かったなぁって今では思う。だいたいスポーツショップがどんな感じでどんな品ぞろえなのかっていうことが分かったし、雰囲気も分かったから。
で、帰りもヒーコラヒーコラ歩いて、電車なんかも使ってみたけれど10分の短縮にしかならず、結局帰りも40分ほど歩きまして足を棒にして我が家に到着~!! 朝の40分の散歩と1時間半のヨガが効きましたぜ、ダンナ。てなわけで、今は下半身が重くて痛くてだるくて、なのです。これで果たして明日のアシュタンガヨガの教室へと生きて行って帰ってこれるのか。こうご期待。続く。
ってまだ終わりませんよ。こんな調子でわたしの意識は一つのところにはとどまらずに、あっちへふらふら、こっちへふらふらしている次第であります。これでいいのか、これでいいござんすか、星殿? adidasの欲望に振り回されていてようござんすか? あなたの求めているものってそういう境地なの? って聞かれたら、みんなで言いましょう。せ~の、イタタタタ~。かわいくイタタタタ~。
気持ちが、意識がグルグルしているわたし。そして、グルグルし続けたままこの生涯を終えてしまうのだろうか? 衣服というものは本来寒さをしのいだり、暑さを和らげたりするためのものなんじゃないの? 何というか衣服で迂闊にも自己アピールしようとしてない? 何か違うよね。みんなで一緒にイタタタタ~。煩悩まみれのイタタタタ~。まぁ、良くないけれど今のわたしのレベルはその程度なのよ。
せ~の、イタタタタ~(合掌)。
未熟ですみません。
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1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。