9月9日、13日、森の公園にて

いろいろエッセイ
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 9月9日 午前6時38分
 公園の木々を眺めながら自分は恵まれているなと思った。まず、家賃を払わなくてもいい。住む家がある。さらには働かなくても毎月、一定の収入がある。贅沢さえしなければ何も働いていないにもかかわらずやっていくことができる。しかも身寄りがないわけでもなく家族だっている。スーパーが家から歩いて近くにある。猫だっている。身体的な障害や病気などもなく体はいたって健康。五体満足で車椅子も杖も必要としていない。ご飯だって普通に食べることができるし、おしっこやうんちだってしっかり出る。
 よくよく自分自身を見てみればすごく恵まれているじゃないか。精神障害だって忘れている位にここまで回復してきたし、吃音だって生活に支障がなく、ごくごく軽くなってきた。
 恵まれている。というか、もしも今の健康が損なわれて、たとえ失ったとしても生きていることだけで本当に恵まれている。生きたいと強く願いながらも生きられず死んでいった人たちのことを思えば恵まれている。それも本当に恵まれている。しかも体は健康体そのものなのだからこの上なく最高に恵まれている。しかし、それにもかかわらずこの自分が恵まれていることが見えなくなってしまう。自分よりももっと恵まれた人を目にしてしまうと。
 わたしは思う。わたしは持っていて恵まれているのだ、と。もっと恵まれている人はいるかもしれないけれど、まずは自分が持っていないものではなくて持っているものに目を向けよう。そしてその持っているものを大切にして足るを知るようにしよう。でも、自分が持っていないものをほしくなることもあるかと思う。そんな時はよく考えて手に入れるかどうか判断したいと思う。それでもほしかったら手に入れる。自分にとって必要だと思ったら手に入れる。手に入れ、手放すを繰り返して、必要なものだけ手元に残す。わたし自身が変化しているように持っている物も変化していく。
 働いていないわたしには山のようなお金はない。けれど時間がある。自由な、束縛されていない自由な時間が。
 ありがたい。生きていることが。体が健康なことが。何から何までことごとくありがたく思えてくる。
 さて、少なくともあと40年、何をしていこうか。時間はある。気の向くまま、あまり大きすぎる目標は立てないで、のんびり気ままにやっていけたらと思う。そして、いい人生だったなと思いながら死んでいくことができたら最高だ。ありのままやっていけたらいいなと思いつつ。

 追記(9月13日)
 他の人が持っているもの、ということで物に限定せずに話をしていたのが、急に持っていないもの(物)で、必要だと判断したら手に入れよう、と突然物の話になってしまっている。これは森の公園であまり深く考えずに書いた文章なので、と言い訳になってしまうが、話が前後で噛み合っていない点、ご容赦願いたい。


 9月13日 午前10時57分
 さっきまでイライラして危なかったけれど、森の公園まで歩いたらそうしたネガティブな感情が溶けてなくなった。
 道中、農家のおじいさんから声を掛けてもらって何だか気持ちが明るくなって持ち直せたし、とにかくお日様の光を浴びて体を動かすことはすごく効くようだ。
 ふと思ったのだけれど、あの農家のおじいさんはカントの哲学だとかおそらく難しい話は理解できない。でも、すごく幸せそうだった。色々、人知れず悩みはあるだろうけれど、それでも幸せそうだった。こういうことを言ってしまっていいのかは分からないのだけれど、難解な哲学は人を幸福にしないし、できない。それよりは自然の中で自分がその一部なのだとわきまえて感謝しつつ暮らしていった方が幸せに生きられる。でも、生きる上で必要な最低限度の知識は必要だろうとは思う。けれど、それ以上のことは、と言えばそもそも必要ないのかもしれない。もしかしたら知識なんかもモノと同じように多すぎるとかえって身動きできなくなるのかもしれない。のびやかに軽やかに生きていくのをジャマするものとして。ソローの『森の生活』っていう本、どんな本なんだろう?
 わたしは恵まれている。働かずして衣食住が事足りているのだから。やるべきことと言えば、簡単なお料理などをするくらいで(あと買い物)全然重労働ではない。それだけやればやっていけるし、暮らしていける。わたしは何を気に入らない、不平不満だ、と言っていたのだろう。ぜいたくな不平不満だったな。
 さて帰ろうか。持っていないものではなくて持っているものを。そして、それらがあることに感謝しつつ、毎日暮らしていきたい。また同じようにネガティブな気持ちになったら森の公園に来ればいいさ。時間はたっぷりあるんだから、ネ。

 追記(9月13日)
 わたしは農家のおじいさんがカントの哲学を理解できないだろう、と見下すつもりでこう書いたのではなくて、そういった小難しい哲学を必要とはしていない軽快さ、そして本当の意味で人生を生きているのではないかという尊敬の思いでいるのでどうか誤解なさらないように。


 森の公園へ行くと何か新しい発見があり、インスピレーションもわいてくる。そして、メンタルも良くなる。また、行こう、森の公園。行かないと調子が下がってくる。公園があることを本当にありがたく思っている次第です。以上。



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