ぐだぐだ不調日記第25弾「『みんなも時間感覚の喪失には気を付けてね』って風邪みたいに言うなよ。」

ぐだぐだ不調日記
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 どうも、こんにちは。星です。
 この不調日記もこれで第25弾となってしまいました。誰もこの日記を読みたいとは思ってくれないかもしれないけれど、不調ながらも頑張って書きたいと思いますので、陰ながらの黄色い声援、よろしくお願いいたします。
「キャー、星さ~ん。かっこいい~。こっち見てー」と言われてそっちの方を向けば不調で冴えない顔をしているわたしがいる。黄色い声援に星さんスマイルで答える、なんて無理じゃ~。
 ともかく時間感覚がおかしい。いつからおかしいかって言うとパソコンをやってから。何だ、またパソコンやって不調なわけね、進歩ないじゃん、星くんは。
 あ、でも最近はパソコンやっても不調になること少なくなってきたんですよ。結構長時間やっても軽い不調で済むことも多くて、まぁ大丈夫だったんです。で、今日のはパソコンやってから8000歩くらい歩いたんですけど、それからなんです。不調になったのは。先生、聞いてください。時間の感覚がおかしいんです。どうすればいいんですか? と主治医の先生に言えばおそらく、じゃなくて絶対「薬を減らしたのがまずかったんですかねぇ」と来る。で、せっかく前回の診察で減ったお薬がまた増量。ほいさ、元通りってなわけで、お薬減らして、お薬増やして、ほいさ、ほいさ。お薬減らして、お薬増やして元通り♪、という謎の歌が今わたしの脳内をかけめぐっているのです。先生、頭の中で変な歌が鳴り止まないんですが。「調子が悪いみたいですねぇ。とりあえず、今回お薬を戻してみて調子を見てみましょうか」となって、結局わたしが渾身の思いで減らした3mg分のお薬はまた3mg増えて元通りになりましたとさ。星さんは死ぬまでその量のお薬を飲み続けましたとさ。チャンチャン。ってもう死んじゃうの? まだまだ人生これからだと思ったのに。思ってたのに、もうわたしの人生おしまい? 芥川龍之介流に言えば、つまりこの人の人生は特段変わったことはなかった、で終了~。ち~ん。なんまいだ、なんまいだ。南無妙法蓮華経。合唱ではなく、合掌。
 時間の感覚がおかしくなるというのは、時系列が分からなくなると言ったらいいだろうか。今日、わたしは午前中にかぼちゃのカレーを作った。買い物に行った。それからパソコンをやった。昼食をとった。スポーツ洋品店へと出掛けた。帰りにユニクロに寄った。で、家に帰ってきた。これは分かっているし、何も記憶喪失だとか、その間の記憶がないとかいうことではない。ただ、何だか自分がそれらのことをちゃんとやったような気がしないのだ。現実感覚が希薄になる感じと言ったらいいのだろうか。時系列は頭ではちゃんと分かっているし、何もそれらを疑っているわけではないのだけれど、実感がわいてこない。本当にわたしってこんなことをしたのだろうか? というか、30分前のわたしと今のわたしって同一人物? 知らない間に時間が30年くらい停止していて、その間にわたしが別のわたしに入れ替えられてる? こ、これは主治医に言ったら、被害妄想だとか何とか言われてしまう、と思う。でも、この時間が絶えずここまで続いてきたという実感がわいてこないんだ。本当にわたしが連続してきたのかどうか疑わしくて仕方がないんだ。
 当たり前のことを何事もなく流せない。そして、当たり前に生きることが難しかったり、できない。わたしのこの違和感って一体何なんでしょう? もしかしてわたしは真理を垣間見ているのだろうか、なんて思ったりもするのだけれどこの奇妙な違和感かつ不快感、だれかどうにかしてくれぇ~。生きづらいですから。
 というか、だてに精神障害の2級じゃないんですよ、わたしは。少なくとも普通の人はパソコンをやったり、スマホを見たりした後に、現実感覚が希薄になるなんてことはない。もちろん、スマホによる不調になっているのが当たり前になっていて、それが不調だということにすら気付けていない人もいるかとは思う。でも、自分自身が連続していて、過去から未来まで同一人物だというごくごく当たり前のこと、こんな当たり前のことにつまづいているというのは、やっぱりどこかおかしいんじゃないか。あるいは、わたしがおかしいんじゃなくて、みんながおかしいのかな? みんながおかしくて気付いていないだけで、わたしがちゃんと本能的にその違和感を察知して感じている。ただそれだけのことだったなんていう可能性も十分にありうる。
 というか、真相はヴェールで覆われている。この、時という時間の流れだって、本当に連続して流れるように続いているかどうかというのは謎だと思うのだ。実は時間というものは流れていなくて、ブツ切りの野菜のように切断されているものなのかもしれない。でも、みんなはそのことに気が付いていなくて連続しているものだと思いこんでいるし、疑うことさえしない。でも、一部の人たち(精神障害者や特殊な能力を持つ人たち)はそのことに本能的な勘のようなもの、直感のようなもので気付けている、なんてことが真相なのかもしれない。けれど、そんなことを公衆の面前で言おうものなら、優しい人から「調子が悪いんですね。お薬をしっかりと飲んで休んだ方がいいですよ」と言われるのが関の山だ。まぁ、差別心むき出しの人からは「何言ってるんだよ。お前頭おかしいよ」とか言われると思うけれど。
 わたしがおかしいのか、それともみんながおかしいのか。みんなはわたしがおかしいと言うことだろう。と言いつつも、これは決着が付かない。わたしの感覚こそが正常なのか、それともそれを感じないみんなが正常で正しいのか、なんて確かめようがない。真相はヴェールで包まれている。
 が、それでもわたしはパソコンをやると不調になる。パソコンがわたしを覚醒させている!? な~んて言っても誰も相手にしてくれないことでありましょう。それは分かっている。それは分かってはいるのだけれど、この不思議な、けれど違和感満載なこの不調だけはどうも共存して共にやっていきたいとは思えない。こうした状態になることが少ない方がわたしはいいし、そのことを当然ながら望む。わたしの不調は真理を垣間見ているがゆえの不調なのだろうか? 答えは出ない。ともかく、出掛けるつもりの前にはパソコンはやらないようにしよう。って言ってるけど、これでもう何度目? 25度目です。進歩がぁぁ無い!!!
 もしもだけれど、この不調日記が第100弾まで続いて、100回目を記念する時には何か大きなケーキでも買って祝したいと思う(ってヴィーガンなのにケーキ? クリームとか卵なんかの動物製品ダメだったのでは?)。で、1000弾を目指すんだ。不調も1000回にもなれば貫禄が出てるぞぉ。となれば、逆算してあと40年続けるとして、1年に24回くらい不調日記を書けばいい。毎月、毎月2回確実に不調日記を書けば目標達成!! ってわたし、何をアホなこと言ってるんだろう。不調にはならない方がいいじゃん。
 とここまで書いてきて現実感覚がだいぶ戻ってきた。みんなも時間感覚の喪失には気を付けてね(って風邪か何かみたいに言うなよ)。



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