人生初のハローワークへ行ってきた

いろいろエッセイヨガ
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 今までわたしは働くことについていろいろと理屈をこねてきた。こうこうこうだから必要ないとか、こういうわけでやる意味があまり感じられないとか、まぁ好き放題このブログでも言ってきたわけだ。が、とうとう、というかそんなわたしがついにハローワークへと行ってきたのだ。どういう風の吹き回し? 何かあったの?、と思う人が大半だと思う。急な話であって、わたしの働きたくない話を聞かされてきたこのブログの読者様にとっては寝耳に水だろう。って言ってもわたしが働こうがどうなろうがそんなことはどうでもいいのかもしれない。でも、まぁ、そんな冷たいことは言わないで聞いてくだされ。星が働きたいと思うに至った個人的なお話を。
 一言で言うとやりたいことができた。それだけ。本当に単刀直入に言うとそうなる。やりたいことというか、目標ができたのだ。それも結構やりがいがあるというか、高い目標が。
 ヨガの資格を取りたい。ヨガの先生になるかどうかはともかくとして、自分自身のヨガを深めるためにもその資格がほしい。その過程で自分自身のヨガも深めていけたらと思っている。
 が、そのハードルは限りなく高い。東大に合格したいとか、弁護士になりたいとか、そこまでは高くないのだけれど、わたしにとってはかなり高い。そのヨガを教えるために必要な、いわばヨガの先生になるための資格で最もメジャーで世界的にも通用するRYT200という資格の講習というか、トレーニング。それはRYT200という言葉の通り200時間ヨガの学びをしましたよ、ということを証明する資格で、その資格を取るためには200時間ヨガの実技だったり座学が必要なんだ。で、その講習をやっているところがあるにはあるのだけれど、一番近い所でもそのヨガスタジオまで行くのに、わたしの家から1時間はかかかる。さらに、その講習は一般的には週1で行われていて、その講習が何と朝の9時から午後の6時までなのだ。つまり、昼食の時間を除いても8時間。それに移動の時間も加えて10時間。そ、そ、それって無理なんじゃないですか。そして、それを半年やるんだ。日々気ままにおうちで時間を過ごしているわたしにとってそれはまさに異世界。未知の領域。さすがに今その8時間やる世界に飛び込んでもそれは無理なんじゃないか、と思って、じゃあ現実的な話、どうしたら、どうやったらこの目標をかなえることができるのかと考えてみたんだ。そうしてたどり着いたのが「働く」ということ。少しずつ働き始めて慣らしていって、働く時間も増やしていけば、それもフルタイムに近いくらい働けるくらいになれば、ヨガの資格のための講習もできるようになるんじゃないか。ま、体力、持久力をつけようということですよ。少なくとも、今の状態から急に階段を何段もすっ飛ばしてそれに挑戦するよりもその方が現実的ではないかと思ったものだから、ハローワークへ行ってみようと思ったんだ。
 ハローワークへ行ったわたしはそこでまず登録した。利用者登録みたいなのをした。そして、求人検索。わたしの希望職種は農業。が、求人がないことが判明。農業でパートの求人ってなかったんだ。それもそうだよな。さらには障害者雇用で農業の求人なんだからないわけなんだよな。で、そのハローワークのスタッフの人から「わざわざここまで来るのは大変だからインターネットのこのサイトで検索して求人が見つかったらまた来てください。そしてその時には主治医の意見書も持ってきてくださいね」と言われてその紙をもらって、わたしはハローワークを後にしたのだった。
 行きも帰りも何だかいつもよりも働いている人たちの姿が目について、鮮明にわたしの意識の中へ飛び込んでくる。そうしたら何だか自分がすごく世間知らずなような気がしてきた。すべて誰かが作ってくれたもの。用意してくれたもの。つまり、働いて拵えてくれたもの。そんな当たり前のことがものすごく鮮やかにわたしには見えてきて仕方がなかった。道も道路も電信柱もお店もそしてわたしが今着ている洋服から靴から何から何まで。全部誰かが一生懸命働いて作ってくれたもの。それをわたしは今まで何も働かずにひたすら消費してきた。障害者なのだから、それも精神障害者なのだから働くという基本的なことが免除されて当たり前なのだ。いわばその上にあぐらをかいてきた。それが何だか申し訳ないような、傲慢だったのかもしれないなとふと思えてきた。もちろん、働くのが難しかったり働けないからこそ障害年金という形で受けているという現実はある。でも、少しでも働こうとすること。というか、何も働くとかそういう形にこだわらなくても、ブログで記事を書くとか、そんなことでも立派な社会貢献だと思う。自分なりの社会貢献。それができてさえいれば、それでいいのだ。精神保健福祉士のWさんに以前わたしが「自分は税金も何も免除されていて納めていない」と言ったら「消費税を納めているじゃないですか」と言ってもらえたことを今思い出す。どんなに働けなかったり、それも働きたいと思っているのに働けなかったりしても、生きていれば必ず消費はしているのだから消費税は納めている。だから、まったく社会に貢献していない人なんていないんだ。わたしはそう思う。もちろん、消費税以上のものを国などから年金だったり手当だったりで受け取っている人はいるかと思う。でも、それは正当な権利なのであって、何も卑下することはない。ただ、その権利だけを声高に叫んで、そして主張ばかりして、そのお金を作るために税金を納めてくれている人たちに感謝しないのは良くないことだと思う。たしかにこの問題は複雑で絡み合っていて難しいから、どんな立場の人にとっても当たり障りのないことを言うのは無理だろう。けれど、感謝すること。感謝することを忘れないようにするなら、障害年金だったり生活保護でもらえるお金だったりを不健康なことやどうでもいいこと、ならびに不真面目なことに使おうとは思えないはずだ。そうではなくて、むしろ自分を高めることや健康的なこと、明るい前向きな使い道に使わなければと思わされるのではないか。とは言ってもこれは難しい。タバコ、お酒、パチンコ、ギャンブルをやって何が悪いとも言えるからだ。でも、そのお金がみんなが一生懸命働いて得たお金から納めた血税だと思うのなら、きっと心のどこかで後ろめたい気持ちになるはず。生きるために使う、自分を進歩向上させるために使う、健康的なことに使う、社会の役に少しでも立つような使い方をする。そうしたい、いや、そうしなければならないとさえ思えてくるはずだ。
 が、それにしても帰りの電車でわたしの前に座っていた女子高校生、すごい美少女だったなぁ。あれだけきれいな人、久しぶりに見た。っておいおい、何をいきなり言うんだよ。全然関係ないじゃん、今までの話と。あっ、脱線、脱線。帰りの電車はもちろん脱線しませんでしたが、それもこれも電車をしっかりとメンテナンスして整備点検をしてくれている人がいるから。つまり、働いている人たちのおかげで今のわたしの便利で快適な生活がある。と無理矢理つなげましたところで星のお仕事は無事見つかるのでしょうか。そして、ヨガの資格であるRYT200は無謀な夢でしかないのか?(統合失調症なだけに妄想?)わたしの人生はまだまだ続いていく。ってまだまだこれから、これからぁ。新展開に期待が高まっているところであります。千里の道も一歩から。まず一歩、それも大きな大きな一歩を踏み出した星。人生、何が起こりどう展開していくか分からない。だから面白い。ただ、今後にあまり期待しすぎないでください。期待されすぎると頑張りすぎて折れてしまいますから、ネ。



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