テレビを見ない生活

いろいろエッセイ
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 もうここ2、3年はテレビを見ていない。と言いつつももしかしたら見ているかもしれないけれど、その記憶がない。
 何て言うかテレビ、見たいと思わないんだ。その2、3年前に最後に見た時も思ったんだけれど、すごく時間がもったいないと思った。特にクイズ番組とか、何が面白いんだって感じで、得意顔でクイズに答えるタレントがすごく面白くなかったのを覚えている。
 テレビ業界も大変だと思う。ここまで嗜好が多様化している今となっては最大公約数的なものを作るのが難しいんだ。で、かと言ってマニアックな路線に走り過ぎても視聴率を取ることはできない。だから、ほどほどにマニアックでありながらも、みんなが興味を何とか持てるラインを手探りで探っていかなければならない、ということになる。テレビの最大のライバルというか、ライバルにすらならないほどの大きな勢力を持ちつつあるのがネットの世界で、ネットを開けば何でもある。となれば、テレビは要らなくないですか、となってしまってもおかしくない。もうテレビの黄金時代を復活させることなんておそらく無理だろう。ドリフターズが出演していた「8時だよ、全員集合」のように最高視聴率が80%とかいう番組なんてもう無理だ。まさにお化けのような、そんな感じの番組。みんなが同じものに同じように熱狂するというのはもうこれからはないと思う。
 テレビを見たいと思わないというのは、別の角度から言えば、自分がやりたいことや興味があることがはっきりしてきたということでもあるんじゃないかなぁ。まず、わたしには、とりあえずテレビ付けとこ、みたいな発想がない。そうして何となく惰性でテレビを見るのなら、その時間を使って何か別のことをしたいと思ってしまう。別のこと。読書、勉強、お料理、ヨガ、猫とのふれあい、家族との団らん(会話)などなど。あえてそこでテレビを見る必要があるかと言えばないような、そんな感じなのだ。
 何かテレビのバラエティ番組とか、クイズ番組とかを見ていた頃を思い出すと、よくあれだけ中身のないものを楽しめていたなって思う。もちろん、タレントやお笑い芸人は人を楽しませるプロフェッショナルだから、どんなに中身のないことであっても面白おかしく演出して見せることはできるし、それが仕事なのだ。でも、どんなにそうして楽しませようとしていても、やっぱり中身はないのだから行くところまで行けば行き詰まる。そこからが彼らの腕の見せ所で勝負所なのかもしれない。でも、それに付き合っていていいのだろうか、とわたしは思ってしまう。特にスペシャル番組ともなれば2、3時間はあっという間に流れてしまう。そして、番組が終わった後、まるで浦島太郎状態になっていて時間はきっちりそれだけ経っているのだけれど、じゃあそこから何を得られたかと言えばほとんど何も得られていない。それは竜宮城でうたかたの夢を見ていたかのようで、終わってみれば時間だけを失っている自分がいるのだ。
 さて、じゃあテレビを見ないことによって何か不利益を被っているかと言えば、特にそういうこともない。ただ、流行が分からん。流行が分からないのです。正直申し上げますとわたくしは今の女性の太眉毛がしっくりこないのです。眉墨で書いたあの太眉毛が分からないのだ。どうやら、というか言うまでもなくわたしの中では流行の時計の針が数年前から止まってしまっているようで、それと異なる文化を目の前にすると違和感を覚えるのだ。だから、女性の太い眉毛を見ても違和感があるように、男性が頭を極端に刈り上げたりしているのもどうもしっくり来ない。って完全に世の中の流れについていけていないっぽいわたしなのだ。
 それからわたしがテレビを見ないもう一つの理由は、テレビを見るとあの光が良くないのかメンタルが下がってきてしまうからだ。どうもテレビやパソコンなど画面との相性が良くないようなわたくしなのです。だから、もし仮に2時間とか3時間テレビを見たり、映画を見ようものならまさにグロッキー状態になって燃え尽きてしまう。頭の中はまるでヨーグルトのようにとろけてしまって、難しいことは何にも分かりません状態になってしまうのだ。テレビやパソコンの画面を長時間見るとはっきり鮮明に考えるということができなくなるようで、どうもいかんのだ。思考が死に、脳のクリアーな活動ができなくなり、いわば麻痺したような状態になってしまう。まぁ、今こうして記事を書いているのだけれど、これはPomeraというあまり目に負荷のかからない入力専用端末だからこそできることなのであって、これをパソコンでやれと言われたら相当大変なことになってしまう。パソコンを使って記事を書いたらこれだけの字数はまず無理だし、記事の質だって落ちてしまうことだろう。まぁ、要するにわたしは体質的にもパソコンやテレビなどを受け付けないようなのです。だったらあえてそれを無理してやらなくてもいいじゃないの、ってなわけで今はこのブログの更新作業かアマゾンで必要なものを買うくらいしかネットは断じてやっておりません。一言で言えばそれこそ自分に優しくするっていうことなんだろうな。
 それから、それから。テレビを見なくなってネガティブなニュースにふれる機会が減ったからすごく気持ちが穏やかに楽になったということも付け加えておきたい。たとえば、よくあるじゃないですか、ニュースとかで。自分の住んでいる場所とは関係がない遠くの地域で起こった交通事故とか火事のニュースなんかが。あれを無駄だとか無意味だとか言うつもりはなくてちゃんと意義はあるのだろうと思うけれど、それを知ったところで一体何になるの、っていう気がする(わたしは利己的で生意気で嫌な思いやりのない奴かもしれません)。事故があったんだ。火事があったんだ、と暗い気持ちになってしんみりする。で、それで終了。だったらあえて知る必要はないような……。もちろん、世界の遠くの国で起こっている戦争を報道するのは無意味だとか言いたいわけではありませんよ。ただ、物事には優先順位というものがあるんじゃないですか? 大きな出来事と小さな出来事とあって、重要な出来事とそうでない出来事とが。ニュースにするなら重要で大きな出来事だけにしてくださいって言いたくなる。あっ。でもテレビのニュースも見てないからそういうことを言う資格はわたしにはないか。こりゃ失礼いたしました、だ。とまぁ、これからの時代、意図的に知らないということを選ぶという道もありそうだな。国を揺るがすような大きな出来事だったり情報は知っていなければまずいけれど、それ以外の取るに足りない情報はあえて捨てるというあり方が必要になってくるのではないか、と。何でもかんでも情報を取り入れていたら疲れてしまうように、だからあえて情報を極力取り入れない生き方を選ぶ。それはそれで筋の通ったあり方じゃないかとわたしは思うのだけれど、あなたはどう思うだろうか? 特にメンタル疾患のある人はあえてネガティブな情報にふれないようにするということも必要ではないかと。それも自らを守るということですね。
 新聞の一面だけざっと目を通し、テレビを見ずに、あとは自分の読みたい本を読んでいるようなわたしの今の生活。これはこれで悪くないし、満更でもない。もうわたしはできるニュースウォッチャーになることはとうの昔に諦めていて、ま、いっかと思っている。そんなことでいいのかね、と言われようものなら、どんなにニュースに精通して専門家顔負けになろうとも本でも書かない限り、所詮は選挙で1票しか投じられない、影響力のない無力な人間でしかないのだ。大衆の一人として大衆に埋もれているモブのような人間。だったら、あえて世の中のニュースを必死になって追わなくてもいいんじゃないの? やりたい人に任せてればいいんじゃないの、と思う。「そんなこと言ってるから日本はダメになるんだ」。結構、結構。わたしには国を動かすだけの力や影響力なんてそもそもないし、このしがないブログで何を叫んでもたかが知れているし、世の中を動かすことなんて無理なんだ。それに人生は短い。そして儚い。だったら好きなことをやった方がいいと思うんだけれど? って利己的なことを申しておりますけれど、これがわたしの本音なのだ。
 こういうわけでわたしのテレビを見ない生活は続いていくのです。まだテレビを見てたの?、という時代はもうすぐそこまで来ていると思う。いろいろな意味で、テレビで消耗しているのは得策ではない。それよりももっと有意義に時間を使った方がいいですよ、なんてね。偉そうに言ってみた(笑)。

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