劇薬

いろいろエッセイ
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 今朝も朝散歩へ行ってきた。森の公園へと出掛けて中を2周くらいして、そして帰ってきた。朝散歩はいい。本当、いいと思う。脳内でセロトニンが朝日を浴びて分泌されるからだろう。最近のわたしの精神状態はどんどん良くなってきていてちょっとやそっとのことではネガティブな感情だったり不調にはならなくなってきた。
 が、今日、二つばかりイラッとしたりムカっとしたことがあった。でも、この程度で済んでいるというのはやはり朝散歩が効いているからだろう。たしかにイラついたりちょっとムカっとは来たけれど、それでも鎮まって今こうしてブログの記事を普通の精神状態で書けている。
 今朝、こんなことがあった。それは森の公園へ向かう道中でのこと。突然、何の前触れもなしに「この世界は本当は存在しないんだ」という天啓のような、ひらめきのような考えが浮かんできたんだ。本当に何の前触れもなかった。突然、パッと浮かんできた。
 何か落ち込んでいたり、気分が悪い時に「この世界はどうせ存在しないのだから」といういわば開き直りのような考えが浮かんでくることはあるだろうと思う。けれども、わたしの場合はそれは田んぼの道を歩いている時のことで、トンボは飛んでいるし、カモは水のあるところを優雅に泳いでいるし、草だって青々としているし、空は晴れているし、むしろこの世界がありありと存在していることを実感しているような時だったから、自分でもとても意外だった。これだけリアルにいろいろなものが周囲にあって、自然だってわたしの五感に訴えかけているのに、それにもかかわらずなのだ。まさに待った無し。そんな感じだった。
 そして、森の公園に着いてからベンチに座ってメモ帳に感じたことを綴ってみた。それをここで紹介したいと思う。

 6:32
 セミが鳴いている。この公園に来るまでの道中でわたしは、本当は何も存在していないんじゃないかと思った。わたしを含めてこの世界の住人たちはこの世界やその中にあるものを存在していると思っているけれど本当のところ、つまり真実は無なのではないか。色即是空、空即是色。それが真実のように思えてきた。
 本当はセミは存在していなくて、木々もそこにはなくて、わたしも他者も本当はいない。ただ無が延々と続いているだけでそこには何もない。だからこの人間の大帝国も一応はあって繁栄しているのだけれどそれすらも空。空しいものを積み上げて蓄積しているだけ。だって本当は何もないのだから。これはまるで裸の王様を裸だと言うごとく激烈な主張だ。どんなに頑張っても汗水たらして労苦しても全ては無なのですよ、と言っているのだから。
 虚無に鳴くセミの声して我目覚む
 仮にこの世界がわたしたちが五感で感じるように存在していたとしても死が待っていて、いつまでも生きていることはできない。死後の世界というものがあるのか、または生まれ変わるのかは知ることができない領域だ。
 この世界の本質は空であり無であると思う。事あるごとに直感的にそれを感じる。
 しかし、この世界が本当は存在していなくて無だとしてもわたしは食べて飲んで排泄をして寝て生きていかなければならない。でもこの世界の本当の姿が無であるとわきまえているかどうかというのは生きていく上で大きな違いを生み出すように思う。わきまえていればこの世に過剰に執着してしがみついてしまうということもなくなる。
 この世界、そしてそこに満ちるものは存在していない。そしてわたし自身も存在していない。だったら物事にこだわらず自由な心で生きていけばいいのではないか。この世界は無で存在していないのだから。
 わたしは本当はいなくて存在していない。それならどんな不幸も幸福もさしあたって無意味であるようなものでしかないから、こだわらないようになると思う。

 この世には理不尽なことがある。それが事件と呼べるほどの出来事ではなくても、イラっとさせられたり頭に来ることは多々ある。さらにはわたしたちは一人ひとり異なった生育環境に置かれていて、受けてきた教育も異なり、そもそも人生で学んだり身に付けてきたことなどもバラバラだ。そして、その置かれた環境というのは徹底的に不平等なものであって、「人間は平等なんですよ」といった綺麗事を並べても何の意味もない。置かれた環境が厳しすぎる人はスタート地点から明らかに不利だし、それを挽回することなんて奇跡でも起こらない限り無理だ。世界に目を向ければ貧しい国などの場合、母親がその子を妊娠している段階から栄養不良であって健康的に妊娠を継続できない。そして、子どもが生まれても低体重児でひ弱で、その後もその子は貧しくろくな食事が取れないために、栄養状態が悪くなり、知能もタンパク質などが足りなくて低くなってしまう。仮に生きながらえたとしても、明らかに高所得の職業につくことなんて無理でわずかなお金を稼ぐために小さなうちから働かなければならない。そんな子に果たして自己責任論を突きつけることができるか? いやいや、話がオーバーで極端すぎる。わたしが言っているのは日本での話なんだと誰かが反論してくるかもしれない。でも、日本でだって格差はしっかりとあって、生活保護があるから餓死することはなくても、依然生活レベルの開きはある。というか貧しい人と豊かな人。同じように競争させたら明らかに金がある方が有利でしょ?
 だんだんこの理不尽な不平等に怒りがわいてきた。が、ここでふと、この世界ってそもそも存在していなくて無なんじゃないの、ということへと戻ってくるわけだ。静かに静かに、無心になってただただ穏やかにこの世界を見つめてみる。見つめ直してみると言ってもいいかもしれない。そうすると、この世界は存在しないんだ。この全ては存在しないという強烈な劇薬(毒薬?)はすべてを葬り去る。ありとあらゆること、人々が抱えている闇の部分すべてを一気に無力化する。と言いつつもわたしは死にたくないという気持ちは今もある。できることなら穏やかに日々を過ごしてポックリと死ねたらいいとは思っている。あるいは悲惨な事件や事故があったりした時には憤りを覚えたり、悲しみに包まれたりする。でも、それらは、いや、それらも含めて全ては存在しないんだ。無なんだ。本当は何もないんだ。そう思うと何だかこの世の理不尽だったり不公正だったり不平等だったりを許せるような気がする。ってお前、何言っているんだと思われる方が大半だろう。わたしのこの感覚は世間的な、一般的な感覚からかなりズレているので、何もこの考えに共感してほしいとは思わないし、それは無理だろう。でも、この考え、いい線突いているというか鋭いところを射抜けていると思う。いいとか悪いとか、怒りとか悲しみとか喜びとか、そういったものをある意味超えているのではないかと思わざるをえない。いや、超えてもいない。超えるともまた違って、ただそこには何もなくて時間もなければ空間もないし、その広がりさえもない。それが平安なのか、それともむしろ寂しいだけなのか、それは分からない。ただ、そこには何もなくて空。無。いいとか悪いとか好悪の感情をも突き抜けたそんなまっさらな境地がそこにはある。まぁ、そこにはもしかしたら神様だけがおられるのかもしれない。いや、そこにさえも神様はおられなくてその無の外部から無として神様は存在を超越した形態でおられる。ってかなり好き勝手に神学をこね上げているけれど、まぁ、それは良しとしてほしい。
 こう考えてきたわけだけれど、この強烈な劇薬はわたしのありとあらゆる感情を平らにならし、つまりは水平線のように平板にし、全てを無力化する。その前では悪も理不尽も不平等も力を失う。わたしはマルクスが言うところの宗教的なアヘンを手に入れただけなのかもしれない。わたし自身が虐げられるまではいかなくてもこの社会で成功したりうまく行ったりしていないから、その不満だったり怒りだったりをこのアヘンで麻痺させているだけだということなのかもしれない。でもだったらそれでいい。どちらにしろ人はいつかは死ぬのだから、そうなったら無になるのだ。もちろんキリスト教的な希望だったり来世的なものへの憧れが潰えたわけではない。ただ、それはその時のお楽しみとして取っておくまでのことであって、それを頼みの綱にするかのような生き方はしたくないまでのことだ(って全然クリスチャンらしくないですけど)。それにわたしはこの劇薬、とても気に入っている。何かまっさらになれていいんだ。こう考えると。でも、効果を求めてこの薬にすがっているわけではなくて、わたしが現時点でたどり着いたのがこの思想なんだ。それが結果的にアヘンのような働きをしているだけであってでしてね。
 この世界が、そしてわたしたち人間やそれらを含んでいる万物が存在しているか、というのは究極的には謎なのだ。なぜなら、それはわたしたちがこの世界を人間の体の器官を通して知覚しているだけでしかないのだから。だから、カントが言ったように物自体(物のありのままの姿)というのは考えることはできるけれど究極的には分からないし謎なんだ。物。換言するならこの世界の本当の姿、それが本当はどんな姿をしているのか。そもそもそれらはまず存在しているのか。などと議論しても決着はつかない。所詮その議論も知覚を突き抜けることができない人間たちがやっているに過ぎないのだから。けれど、そんな凡人に過ぎないわたしが思うことは、無なんじゃないかということ。もちろん違っているのかもしれない。この世界の本当の姿はわたしたちが知覚している通りのもので嘘偽りはなかったという可能性もある。でも、わたしはこの世界は存在しているようには見えるけれど存在しないと思う。まさにすべてを粉砕する劇薬(やっぱり毒薬?)。この直感を大事にしていきたい。



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