29200日

いろいろエッセイ
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 わたしたちは日々を過ごして毎日を送っている。その日々にはいろいろなことがあり、喜怒哀楽が織りなされている。わたしはある意味、狭い世界に生きている人間だと自負しているけれど、何も大きく生きるだけがすべてではないと思っている。朝起きる。ごみを出す日であればごみを出し、朝食を時には準備し、食べ、……と平和で平凡な日常が展開されていく。時には何て平凡なんだろう。ビッグに生きてやりたい、などと思うこともあるけれど、今のこのわたしの生活がとりあえずは今与えられている分なのだ。と野心をひらめかせながらも、わたしの平凡な日々は続いていく。
 この平凡な日々がいつまで続くのだろうか。この平和で幸せな生活がいつまで続くのだろうか。わたしは超能力者でもなければ予言者でもないから、もちろん水晶などで未来が見えたりはしない。だから、分からない。けれど、この毎日がどれくらい続くのか、ということは数字で表すことができる。わたしはおそらくあと40年くらいは生きることだろう。少なくとも80歳くらいまでは生きるんじゃないかなって思うんだ。
 わたしは何でも数字にするのは有機的なものを無機質に表現してしまうようであまりしたくはないのだけれど、このあと人生がどれくらいあるのか、といったことについては表すだけの価値があり意義があるだろうと思う。

 29200日。

 1年が365日で、それが80年で単純計算で29200日(閏年を計算に入れないで)。
 少ない? それとも多い? だいたい3万日が80年なのだ。わたしはこの数字を見た時、何か不思議な気持ちになった。多いとも少ないとも違う、そういった感想とはまた違う感慨深さというとわたしの感情に近いだろうか。あぁ、だいたい3万日なんだ。3万日でわたしの人生って終わるんだなって妙に感心してしまったのだ。人事とも他人事とも違う「へぇ~」に若干近いようなある種の驚き。お日様が3万回、昇っては沈んで、昇っては沈んでを繰り返す。そうするとわたしの人生がおそらく終わる。
 これって何かすごいことではないだろうか。逆に言えば、わたしには神様から3万日この地上にいることが許されているのだ。このいられる間にわたしは何をしたらいいのだろう、って青年期も終わりにさしかかっているわたしなどは思う。
 時間の有効活用と称して一分一秒も無駄にしないようにがっちりと自分の時間を使う。その人生の送り方もそれはそれでありだと思う。でも、わたしは、今のわたしは変わってきていて、何というかあたたかくぽかぽかと毎日を楽しく生きて行けたらいいなと思っているのだ。つまり、心の平和、心の平安を持ちながら生きていきたいのである。
 あと29200日のおよそ半分をこころ平和に生きていきたい。いや、もしかしたら星さんは100まで生きるかもね、なんて言ってみたりして。
 あなたの29200日(いや、もっとかな?)に平安がありますように。平安と共に生きていきましょう。シャローム。

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