時刻は朝の5時半。わたしは散歩へと出掛けた。
実はここ数日、どうも調子が今一つだったんだ。ヨガはやっていたものの、それでも家に閉じこもりがちな生活でどうもメンタルが晴れなかった。気が付くとパソコンもやってしまっていて、1時間、2時間はざらではなかった。そんなわけでどうもメンタル下降気味。どうしたらいいんだろうと考えていた。ヨガをやっているのにそれでも不調な今の状態をどうしたらいいのか、と。
気付きは一冊の本から与えられた。小池龍之介さんとテリー伊藤さんが対談している本があって、その本からいい気付きが与えられて、じゃあ、やってみよう。試してみようと思えたのだ。その本のタイトルは『小池龍之介さん、煩悩ってどうすればいいんですか?』。この本を買ったのは自分自身の性的な欲求をどうしたもんかと困っていたからだった。本当は清らかでいたいのにできない自分。それを何とかしたくて買った一冊だった。
その本は小池龍之介さんというお坊さんが先生役になってテリー伊藤さんからの質問に答えながら進行していくのだけれど、その中で死んでもいいと思えるのはどんな時かって話になったんだ。で、小池さんが言うには、瞑想している時とひたすら歩いている時とのこと。ここからわたしは突破口を見出したようだった。この「ひ・た・す・ら・歩く」というキーワードにわたしの目は釘付けになったのだ。もう死んでもいいと思えるくらい恍惚に包まれている時というのは、もちろん調子がいい時だ。調子が悪いんですぅ。メンタルダウンしているんですぅ、という時にあまりにも幸せすぎてもう死んでもいいなんて思えない。それは明らかなこと。不調を脱するヒント、ここにありなんじゃないか。
というわけで昨日の午前中(9時半頃だったかな?)散歩をしたんだ。それも長い時間。そうしたらあんなにネバネバひっついていた不調がきれいさっぱりなくなっているじゃないですか。本当、驚いたよ。2時間半の散歩で(本屋とかスーパーにも寄ったりしたから実質歩いていたのは1時間か1時間半くらいだったかと思う)不調がいとも簡単に解消!!
で、今朝もお散歩をしたというわけ。5時半っていうとまだお日様が高く昇っていないからそんなに暑くはないんだ。朝焼けが本当にきれいだった。朝焼けの中、田んぼが続く道を歩くっていいもんですよ。それから5時半でもセミって鳴いているんですね。もっと遅い時間から鳴き始めるものかと思っていたけれど、5時半には鳴いておりました。
まず森の公園へ行きましたよ。でも、びっくりしたのが朝の公園、日曜日だったせいかもしれないけれど結構散歩している人がいたんだ。中高年の朝の散歩って定番なんでしょうか。人生の年輩のおじさま、おばさま達が歩いておりました。そして、森の公園からぐる~っと大きく回って帰ってきた~。で、1時間半。となれば時刻はもう7時。いや、まだ7時。それだけ歩くと汗をかいて気持ちが悪いからシャワーを浴びて髪の毛も洗った。って、ってこれってリア充じゃないですか。独り者だけれど完全にリア充じゃないですか? 身体をきれいにして、それでもまだ7時半。次はお洗濯。ほいさ、ほいさと洗濯機の中へと洗濯物を放り込み洗剤を入れた。あとは40分後に干すだけ。で、朝食。体を動かした後のご飯ってめちゃめちゃうまいです。普段通りの食事だったけれども何倍もおいしく感じるのだから不思議。
調子がいいとやる気が出てくるのです。と、朝食を終えたわたしはそれから1時間ほど読書をして、今度はお料理。手の込んだお料理を作っちゃいます。普段だったら尻込みをしてとっかかりが作れない手の込んだお料理だってやってみようと思えるんです。
それから1時間半。やっとできやした。渾身の力作。お豆のカレーなんだけれど、お豆からゆでて作るんだよね(今回は黒ひよこ豆を使用)。だから、一手間かかる。そして、ブレンダーも使うし、玉ねぎとニンニクをみじん切りにするし、使う材料の種類が多いしで本当大変。それに初めて作る料理だったから手順だってすんなり行かない。途中まだ終わら~ん、と心が浮き足立ってきたもののそれでもやり遂げた。朝の散歩がなかったら、それもパソコンとかやってて気持ちが内向きだったらきっとできなかっただろうなって思う。それくらい大変だったんだ。でも、できた。それは朝、歩いたから(おそらく)。
それに何かこの2日で考え方も変わってきた。もうパソコンの中の世界とかどうでもよくないですか、って思えてきたんだ。じゃあ、何でブログの記事を書いているんだよ、とお思いになるかもしれない。ま、これは成長アルバム的な記念としての意味合いと、この文章を読んでくれた人の中で「よし、わたしもあれだけ星さんが調子良くなったんだから歩いてみよう」という人が出てくることを願ってのことなんだ。ま、幸せのお裾分けね(って上から目線で生意気かもしれませんが)。別にブログのアクセス数とかどうでもいいじゃないですか。何で今までそのことにこだわっていたんだろう、って思う。それはメンタルの状態がいいからそう思えるんだろうけれど、何かつまらないことにこだわっていたなって思うんだ。そんなことにウジウジ悩んでいる暇があったら、少しでも自分の生活を充実させることを考えた方がいい。歩いて、ヨガをやって、お料理をして(それも手の込んだやつも作れる時は)、きっちり読書もして、家事もやって、みたいな感じでやっていたらネットをやっている時間なんてないんだ。リアルを充実させるためにはいわば仮想現実に近いようなネット空間に時間を費やしてはいられないんだ。そうして自分の毎日の生活をきちんとやること。しっかりと自分の人生を生きること。それがすごく大事なんじゃないかって思うんだ。ネットをやって得るものはほとんどない。むしろネガティブな要素がわたしを蝕んでくる。お金も使ってしまうし、メンタルだってダウンする。だったらあえてそれに浸かっていることもないんじゃないか。
ひたすら歩くこと。それは今、ここをしっかりと生きることでもあると思う。体を使って、しっかりと自分の五感を研ぎ澄まして生きることを意味する。
さきに紹介した本の中でテリー伊藤さんはこんなことを言っていた。それは解剖学者の養老先生がこんなことをテリーさんに言ったらしいのだ。「現代人はもっと体を使わなくちゃダメだ。頭ばっかり使っているからおかしくなったんだ。」わたしも同感だ。すべては体を動かさなくなったことに始まり、そしてそのことに終わるような気がしてならない。人間の本来のあり方に戻ることが何よりも大切。現代人の不調はそうしたことへの警告なのかもしれないと思う。
もうしばらく歩く生活をやってみようと思う。調子がいいのってすごく気分もいいしね。あ、でも、水分補給できるように歩く時には水を持って行くことは忘れないようにね。帽子もかぶった方がいいよ。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。