何だか自分が恥ずかしい

 わたしは日本生まれの日本育ちで、生まれた時から屋根のある家に住み、安全な水を飲み、衛生環境の整った場所で、飢えることなど何も知らずに育ってきた。これが当たり前。これが当たり前だから、さらにもっといい暮らしをしたいものだとさえ思うように自然となっていた。
 上を見ればキリがない。が、下を見てもキリがない。上と下。どこまでも上には上がいて、下には下がいる。
 ヨガをやる人間にとってインドは憧れの聖地だけれど、インドは生易しいものではない、場所ではないと改めてわたしは一冊の写真集を見て思った。沖守弘撮影『マザーテレサと姉妹たち』という1冊の写真集を見て、そのことをわたしは痛感させられたのだった。
 この写真集、初版が1978年と、今からもう40年近くも前にもなる。あれから40年、今のインドがどうなっているのか、どのような感じなのか行ったことはおろか情報収集すらしていないから分からないけれど、いまだにスラム街はしっかりとあって、貧しい人たちがそこで家もなく道で寝起きしていると思う。
 写真集の中の写真を見ていると、写し出されている人々一人ひとりが、今日という日を生きるのに死に物狂いで、何とか生き延びているという雰囲気が伝わってくる。わたしって本当甘ちゃんだなって思う。住む家もあり、障害年金で最低限の生活が保障されていて、安全な飲み水だって飲み放題で、食べ物だってほぼ食べ放題。何て恵まれているのだろう。写真集の中の人々は、土とほこりの中に身を横たえている感じで、土色というか、ヨガをやって心身共にリラックスしましょ~う、なんて言ってる場合じゃないし、少しでもやせてスリムな美ボディを目指しましょう、なんていう言葉をかけることはもちろんできないくらいの状況に置かれている。
 何だか自分が恥ずかしい。恥ずかしくなってきた。自己実現と称して何かをやる。それ自体が悪いわけではないのだけれど、何というか自分中心で、自分のことしか考えていなくて、自分さえよければいいかのようだ。それが何だかいたたまれなくなってきて、貧しいひもじい思いをして生きている人たちに申し訳ないような気がしてきた。
 貧困、そして飢餓。わたしは直接は手を下してはいないけれど、間接的に手を下しているようなものだと思う。わたしがしているライフスタイル。それらは誰かの犠牲のもとに成り立っている。誰かを足で踏みつけて、そうすることで成り立っているんじゃないか。まるでそれはわたしが生きるためにたくさんの生き物の命をいただいていて、いわば屍の山の上に立っているのと同じように。わたしは便利な生活をしている。何不自由ない暮らしをしている。できている。が、そうした営みが誰かの涙や呻きによって成り立っているのだとしたら、自分が今いる場所の居心地をそのまま喜ぶことはできない。
 じゃあ、わたしはどうしたらいいのだろうか。この世界的な貧困問題に70億分の1人でしかないわたしがいかにして向き合うのか。わたしにできること。それはたかが知れている。わたしが今持っているわずかな全財産を貧しい人にすべて施して、わたしが一文無しになったとしてもたかが知れているだろう。それはまるで大規模な火事に一滴の水を注ぐようなもの。それにわたしはわたしとして生きていく権利があるし、生きていかなければならない。というか、この世界の貧困問題は規模が大きすぎる。飢えている人が100人とか200人とか、そういうレベルの話ではないのだ。何億人レベルでお腹をすかしているのだ。満足な食事すらとれなくて低栄養状態にある。
 自分の幸せ。自分の幸せを追求する。けれど、たしか宮沢賢治が言ってたことかと思うんだけれど、みんなが幸せでなかったら自分だって居心地が悪いし、幸せな気分にひたることだってできないのだ。不幸な人? そんな人たちのことなんて関係ない。自分がよければそれでいいのさ、と思える人もいるかもしれない。けれど、わたしはそうは思えない。困っている人、苦しんでいる人がいたら自分のできる範囲で何かしたいと思うし、その人のことを知ったらやっぱり放っておけなくなる。
 そのことと自分の幸せをどの程度追求していくのか、というバランスが大事じゃないかと思う。わたしは幸せになっていいと思うし、幸福を追求していくことは悪いことではない。権利と言ってもいいだろう。しかし、自分さえよければ、と自分中心に生きていってそれで本当に満足かと言えば、それは底の浅い幸福感のようにも思える。本当の充足感は自分のために生きながらも、利他的な行為をしていくことにこそあるのではないか。
 わたしが感じた恥ずかしいという気持ち。それは世界には飢えている人々がいるのに、先進国でダイエットのための食品やらサプリメントがバカ売れしているようなことの意味を客観的に突きつけられた時の気持ちと言えるだろうと思う。恥ずかしいような後ろめたいようなこの気持ち。ついつい、普通に毎日を送っていると上ばかりが見えてきてもっともっといい暮らしがしたいと思ってしまう。でも、それって本当に必要なのだろうか、それにわたしが本当に求めていることなのだろうかと冷静に自分自身を見つめ直してみる。そうしてみればきっと違う視点が開けてくる。自分中心の自分第一の生き方をするのではなくて、頭の片隅にでもいいから、それとなく貧しい人々がしっかりと、それも多くいるということを忘れないようにして生活していきたいものだと思う。
 さきほど紹介した写真集の裏表紙の小さな男の子がわたしに訊ねているように思えてならない。「あなたはどう生きていくの?」と。

写真集の裏表紙

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