ありのままのわたしを愛されたい

いろいろエッセイ
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 わたしも今年の9月で38歳だ。今までを振り返ってみると、恋愛とは無縁な生活を送ってきたなぁとしみじみ思う。気が付いたら38になっていたと表現するのが適切かもしれない。
 このまま、彼女すらできないまま中高年へと突入していき孤独に死んでいくのかなぁと思うと、何やら気分が滅入ってくる。別にいいじゃないか。それも人生なんだから。そういう自己正当化する考えが浮かびながらも、やはりどこか一抹の寂しさを覚える星なのであった。
 そんなわけで自分がなぜこうまで女性と縁がなくここまで来てしまったのか考えてみようと思う。いわば原因探しである。

 ①以前のわたし(特に20代前半から30代前半にかけて)は精神疾患に圧倒されてパートナーを探すどころの状態ではなかったから。

 これはもっともな理由である。つまり、男女の出会いがもたらされる黄金期に、わたしは精神疾患にかかりっきりで、出会うチャンスを逃したのである。20代前半と言えば、大学を卒業して就職している頃。そして30代前半までは一般的な人の場合、仕事をバリバリやっていて、心身ともに充実している時期である。

 ②現在も出会うチャンスがある場所に行っていないから。

 これももっともだ。サークル活動など出会いにつながりそうな場所に行けば広がっていくのかもしれないと思う。教会には行っているが既婚の女性と中高生しかいなくて、出会いの場所としては機能していない。

 ③仕事をしていなくて、社会的地位もないから。学歴も低いから。

 職なし、金なし、車なし、地位なし、学歴なしな星である。安定志向で行きたい人はおそらくわたしを選んでくれないことだろう。

 拙い分析はこれくらいにして、わたしはマニュアルに頼りたくなってきた。恋愛指南書である。それさえ読めば、きっと素敵な恋愛ができて、素敵な結婚もできて、素敵な家庭を築けて、すべてはハッピーライフへとつながっていくんじゃないか。それだったらお金を多少払ったところで、安すぎる出費なんじゃないか。そう思った星は恋愛指南本、つまり恋愛マニュアル本をAmazonで買ってみたのだ。これを書いていてイタい男だということは十分承知している。でも、幸せになりたかったのだ。まだ見ぬ幸福を掴みたかったのだ。その気持ちはわかってほしい。
 「さあ、読もう。」
 てなわけで恋愛マニュアル本を途中まで夢中になって食い入るように読んだ星である。
 その本にはいろいろなことが書いてある。指南してくれるのだ。
 まず、美容院へ行くべし。行ったらこう言うべし。洋服を買いに○○へ行きコーディネートしてもらうべし。店へ行くのが大変なら、ネットでマネキン買いすべし。気になる女の子にはこのようにして連絡先を聞くべし。メールはこうすべし。メールでこうすることは避けるべし。女の子との会話はこうすべし。話題はこう切り出すべし。………、べし、べし、べし。
 最初のうちは「そうか、そうか、そうなんだ。そうだったんだ。自分は何にも女性のことを分かっていなかった。いやぁ~、著者の方、素晴らしいことを教えてくださる。これは目からウロコだ。」と素直に受け入れていたわたしだったが、ある時この指南から妙な不快感をわたしは覚え出した。気分が悪くなってくるのである。たしかに女性心理をわたしよりも知っていて的確な指南を与えてくれる本の存在はありがたい。
 でも、はっきり言うと、何か自分がケチョンケチョンにダメ出しされているということに気が付いたのだ。わたしがダメなんだからダメ出しされているわけであって、「先生はあなたのためを思って言ってくださっているんだよ。自己流ではうまくいかないから先生の指導を受けているのであって、それが嫌なら聞かなくてよろしい。」とか言われそうな勢いである。
 まるでありのままのわたしが「今のままではダメだよ。だから、あなたは女性に受け入れられるように変わらなければならないんだ。そうしなければ、おそらく女性は、あなたが好きになってほしい女性は受け入れてくれないだろうよ。変わりなさい。あなたは今のままではダメなんだから。」と否定されているような気分になってくるのである。
 日本のどこかにありのままのわたしを愛してくれる人っていないのかな。恋愛指南書はそういう思いに対して、「それはあなたのママだけだ。そんな人いるわけがない。」と突き放してくる。本当にそうなんだろうか。ありのままのわたしを愛してくれる人なんていないのだろうか。単なるわがままなのだろうか。
 でも、日本に少なくとも数百万人はいる未婚女性の中に一人でもそんな人がいるような、そんな希望がわたしに灯っているのである。じゃなかったら、何でこんなに現実において多くの人が幸せな結婚をしているのか説明してくれよ、と言いたい。恋愛マニュアル本でなろうとする男性はとても素敵だ。信頼される愛されるであろう理想の姿を描いてはいる。けれども、それになったところで、その姿が無理して背伸びしてつくった不自然な自分ではない人間だとしたら、それって一体どうなんだろう。果たしてそれに価値があるのだろうか。自分の本心隠していい人ぶって、本音は全然そんなこと思っていないのに思っているかのように振る舞う。まさに相手にも自分にも嘘を付く。そして、わたしに関わるすべての人を欺いて騙す。それってどうなんだろう。
 もちろん、本心から親切にしたくて女性に親切にするのは問題ないだろう。でも、親切にしたくないのに親切にする。本当はメールのやり取りだって、著者が言うところのスマートな感じではなく、好きなようにやりたい。長文メールが指南本によればNGだとしても、送りたい時だってある。
 たしかに何かにおいて上達するには先生についていいフォームで出来るように教えてもらうのが一番の近道だ。自己流ではたどり着けない境地というものはある。けれど、わたしはどんなに無様であっても、格好悪くても、スマートじゃなくても、洗練されていなくても、ださくても、それがわたしなんだからこのありのままを受け入れてくれる人と人生を歩みたい。
 そんな人いるわけない? 甘いこと言ってる? だとしたらシングル(独身)でいいよ。一生結婚できなくたっていいよ。それも神様のみこころだろうから。ダメ出しされ続けて、ありのままの自分を認めてもらえなくて、いつも万人ウケすることを考えて先取りして必死のお芝居をしている。それって滑稽を通り越して空しいよ。
 そういうわけでわたしは将来のパートナーに次のことを求めたい。「わたしのありのままを好きになって愛してください。わたしもあなたのありのままを愛するように努力しますから。」
 わたしは自分で言うのも何だけど、心が醜くて、どす黒くて、自己中心的で、思いやりがなくて……(続く)なんです。
 こんなわたしを愛してくれる方っていないでしょうか? いたらぜひ教えてください。(ってなかなかいないだろうなぁ。もちろん神様は愛してくださっているけどね。)

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