最近、毎朝必ず、とまではできていないものの、朝の4時半にだいたい起きれるようになってきた。早起き。そして、朝の活動。誰にも邪魔されないわたしの聖なる時間。
というわけで朝散歩をしてきた。いつものコースで手短に、いつも通りにしようかと思ったのだけれど、実は前から気になっていた場所があるのだ。それは少し上がっていった先にある公園。山を切り開いたような感じの公園で、たしか何年か前に数回行ったことがある。
その公園に突然、突如として行きたくなったわたしは円を描くような上り坂を上がっていったのだった。目指すは公園。名前すら知らないけれど、たしかにあったはずの公園!! 10分くらい坂を上がって到着。着いた~。とは言っても、何かはっきりとした目的があったわけではない。強いて言えば、というか一番の目的は曖昧で漠然としながらも森林浴。
その公園はまさに森だった。森の公園。そんな感じ。森を切り開いた公園。
公園に入ると、く、空気が違う。何というか、空気が澄んでいて、味はしないけれど空気がまさにおいしいのだ。空気がおいしい。何年ぶりの経験だろう。このすがすがしさと爽快感。一度経験したらもうこれやめられないわ。心と体が浄化されていく感じで、とにかく気持ちがいい。自然の中ってこんなに気持ちよかったのか。何で今までこの場所に頻繁に来なかったのかと後悔し始めたくらいだ。もちろん、時間が朝だったのがなおさら良かったことは言うまでもない。
森林浴。生き返る~!!
とここまで書いてきて、もう書くことが尽きた星どん。要するにね、森の公園の空気がおいしくて癒されたわけですよ、以上。なんてね。と思いきや、ぐだぐだ文章を連ねていけばまだ続けられそうなので、どうかお付き合いを。
森の公園での森林浴と、日頃長時間気が付くとやってしまっているネットサーフィン。どっちが気持ち良かったか。どっちの方をやっていきたいか、って家に着いてから考えたんだ。人工的な刺激と自然な刺激。この両極について考えてみたら、わたしはこれから公園に行って森林浴をしていきたいなって思ったんだ。パソコンに2~3時間使っていた時間のうちの1時間でもいいから森の中での公園のお散歩に切り替える。パソコンの前で人工的な光を浴びながら四角い画面を見ているのは幸せではなかったんだなって思えてきたんだ。と言いつつ、このブログはネット上にあるから矛盾しているかもしれないけれど、パソコンとかのネットに浸っているよりも、自然の中でゆったり過ごした方が幸せなんじゃないかって思うんだ。この文章を読まれたあなたがどちらを選択するのかわたしには分からないけれど、星的には自然の中で過ごすことをすすめたいな(って余計なお世話かもしれないけれど)。
何か今朝、森の公園でお散歩していたら、細かいちまちましたことがどうでもよくなってきた。誰が年収何万円とか、誰がどこそこの大学出てるとか、誰が成功してるだとか、もうそ~んなことどうだっていい。というか、森林浴している時はそういうことすら思いつかないくらいなんだ。無我の境地まではいかないけれど、心がきれいになってスーっとしている整えられている状態。
今、わたしはPomeraの四角い小さな白黒の画面を必死に見ながらカチャカチャ文字を入力している。少し心がざわざわしてきた。デジタル機器って心をもしかしなくてもざわつかせる。
平安。瞑想している時や森の中の公園をお散歩している時のような感じ。だんだんとわたしの中の平安が見えてきたような気がする。反対に、ネットを長時間見て、アダルトサイトに入り浸って、ジャンクフードを猛スピードで平らげているような時にはやっぱり平安から遠ざかっているんだよなぁ。そして、そんな時には毎度のことながら、誰かと自分を比べて、キリキリ、カリカリ心を乱している。
近場に自然豊かないい公園があったので、これから足繁く通おうと思う。この世の喧噪から離れて自然の中で体と心を解放する。ギラギラと平安とは両立しない。ギラギラではなく、透き通るような静けさの中で自分自身と向き合っていきたい。
とこの今回の経験のきっかけになったヨガの先生が昨日わたしに言ってくれた「森林浴がいいですよ」に感謝しつつ(「先生、ありがとう。」)、これから自然の中にいる時間を積極的に増やしていけたらと思う星なのでした。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。