お日様

 朝、目が覚めた時、どよんとしていた。疲れているというか、体が重くて起きあがる気がしない。昨日は疲れているからと9時頃にはベッドに入ったわたしだったのだけれど、それでも昨日の疲れは今日に持ち越されてきてしまったようで、「はぁ~」と息を吐いた。
 調子を良くするためにわたしにできること。ヨガ、体調に合ったスパイスティー、小食、などなど。それらを次々にやってみたものの。体の重さというか、倦怠感はなくならなくて(ヨガは終わった後、10分間くらいは爽快な感じが続いたけれど)、どうしたものかとため息をまたついた。
 そもそも、自分が自分自身の体調をコントロールできるとかいう発想自体が思い上がっているのだろうか。自分自身でコントロールできるなどと考えるのが間違いなのだろうか。いや、そんなことはない。たしかに完全に機械を制御するかのようにコントロールすることは無理だけれど、それでも今までの経験則から、これをやると調子が良くなって、あれをやると悪くなるっていうのがざっくりとはつかめているはずなのだ。わたしのこのブログで最近は書いていない「ぐだぐだ不調日記」を通して積み上げてきた経験があるはずなのだ。これは、何が何でも回復させねば。星さんの意地とプライドと名誉(?)にかけて、何が何でも回復させるのだ。
 と倦怠感に包まれながら意気揚々と(って両立できないけどね。普通は)、さぁ~って来週の○ザエさんは~、ではなくて、何をしようかな、とまたしても何かを試そうと思っていた星なのだった。
 と(「と」が多いな)、ふとした瞬間に庭のプランターに植えてあるキャベツのことを思い出した。最近、新しい家族になったかたつむりたちに意識を持って行かれていて、キャベツさんの水やりがおろそかになっていたのだった。このままでは枯れてしまうかもしれない。となれば、星家の春のモンシロチョウ祭りが中止になってしまうかもしれない。できなくなってしまうんじゃないか。そんな負の連想ゲームが始まったわたしの脳内。それは、まずい。水やりせねば。
 倦怠感を抱えながら水やりしに庭に出ました我らが星さん。暑い。まるで夏の日差しのような、そんなほぼ垂直からのような日差し。暑い、暑い。
 キャベツを見る。まだ枯れてない。セーフ。が、幼いキャベツの葉っぱには三匹ほどのバッタたちが。二匹についてはおんぶバッタのごとく、おんぶしているのとされているののペア。「お前らなぁ~!!」とバッタだって生きていくためにはキャベツの葉っぱを食べる必要があるのに、そんなことはすっかり忘れてバッタに目くじら立て始めた星どん。その仲良さそうなバッタを二匹同時に指先で器用につまみあげ、それから3メートルくらい進んだだろうか。ポ~イっと放り投げる。いや、放り捨てる星(殺さないところが偉いのかな?)。が、放り投げたところがたまたまクモの巣で、クモのネットにくっついた二匹のバッタたち。「動けない……」と無言の悲鳴を上げているような、そんないたいけな状況になっているわけだけれど、ここでバッタたちを解放するためにクモの巣を引きちぎろうものなら、またそのバッタたちがキャベツの葉っぱを食べに襲来してくる。キャベツの利益とバッタの利益。天秤に両者がかけられて揺れております。「どうする? ○イフル?」(古いCMですな。今の若い人は分からんだろうな)ではなくて、「どうする? 星さん?」薄情な星の天秤は思いっきりキャベツの方に文句なしで傾く。星は薄情なやつでございますよ。そして、今もバッタたちを救出はしていない(もうクモの餌食になってしまったのだろうか)。
 で、そんなこんなで15分くらい、お外でバッタたちとすったもんだしていたわけでして。と、気が付いてみたらあの倦怠感がなくなってる!! きれいになくなっているではないか!! あれだけヨガをやったり、特製スパイスティーを飲んだりしてもダメだったのが、すーっと倦怠感が引いて元気が戻っていたのだ。で、元気を取り戻した星どんは今こうして執筆に勤しんでいる、と。
 お日様の力。わたしはお日様の力を侮っていた。たしかに朝散歩とか朝の日向ぼっこをすれば体にはいいかもしれないけれど、そんなに劇的な効果はないでしょ、くらいに思っていたのだ。でも、違った。お日様の光は今日のわたしの重苦しい倦怠感、不調を一挙にきれいさっぱりとあっさりと回復させてくれたのだ。これから、毎日朝散歩してみようかな。また再開してみるかな。最近、朝ヨガはよくやっているけれど、朝散歩はほとんどやっていなかった。朝散歩またぼちぼちやってみるかな。そうだな、朝散歩をやる時間がなくても、朝の光を庭に出て浴びるくらいはしてみようかな。
 生物としての不調ってお日様も含めた自然と遠ざかってしまった時に起こるんじゃないかって今回のことを通して思った。ほとんどインドア生活だったんだ、最近(ヨガはやっていたけれど)。あと、かなり無理もしていたような気がする。疲れていても、さらにそれでも何か活動をやってしまっていた。反省、反省。
 人生100年時代で、わたしの人生がだいたい100年なら、まだ60年もある。だから、生き急ぐ必要なんてそもそもなかったんだ。まだ中間地点さえにも到達していないのだからね。
 ぼちぼち、やれることを、その時その時のベストを尽くしながら、無理をせずにやっていく。お日様の光を浴びて、自然からの恩恵も受けながら、生命力を高めていく。自然と共に、ね。

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