今日のノルマが終わっていない。やることリストを書いてあって、それを厳守しなければならないというわけではないんだけれど、漠然とながらもわたしにはやることがある。あれをやって、これをやって、それからどれも、みたいな感じでなかなか終わらないのだ。終わらないのに、疲労感は待った無しで容赦なく襲いかかってくる。今日のやりたいこと、全部終わらないや。
こんな時、皆さんならどうされるだろうか。ほっと温かい飲み物でも飲む。気分転換の散歩にでも行く。好きな漫画を読む。人それぞれいろいろな解消法があることだろう。たしかにそういったこともあるのだけれど、わたしは今お世話をさせてもらっている、かたつむりたちを見ることにしたのだ。
かたつむりたちが暮らしている透明のタッパーの中の様子を見る。すると、予想していた通り、静かで平和な時間が流れている。穏やかでゆっくりとした時間が。ゆったりとくつろいでいる、というか、とにかくそこだけ別世界でわたしがカリカリやっている心情とは真逆の世界が広がっている。
それを見た瞬間、わたしは人生を急ぎすぎていたかもな、って一息入れることができた。わたしは急いでいた。栄光のゴージャスな自己実現に向けて日々の研鑽に余念なくしようとしていた。かたつむりたちの発する、発している空気。まるでわたしが高熱で熱せられた金属だとすると、それをザーっとかたつむりたちの冷水とでも言うべきまったりシャワーで、冷ましてもらったような、そんな感じなのだ。これはかたつむりを実際に飼ってみないと分からないことかもしれないけれど、彼らのまったり感はすごい。何だか、カリカリしていたのがバカらしくなるくらい、その熱を急速に冷ましてくれる。
考えてみれば、かたつむりたちの方が寿命が短いのだから急いだっていいくらいなのだ。それなのに、彼らはマイペースでゆったりゆったり、のそー、のそーと生きている。かたつむりって長く生きて数年は生きるらしい。だとしたら、あと少なくとも40年近くは生きるだろうわたしの5、6倍はかたつむりたちは生き急いでもいいんじゃないか。でも、かたつむりたちは生き急がない。ただ、与えられたままに、ナスを静かに食べて、ゆっくりと移動している。
時間を有効活用したいとか、有意義に使いたいとか、とかく人間のわたしたちは考える。でも、どうなったら有効活用できていて、有意義だと言えるのか。まったり、ぼーっとしているのだって意味があるんじゃないか。アクティブに活動するための余暇の時間だからとか、そういうことではなくて、純粋にそのぼけーっとしている、何もしない非生産的な時間がかえって、本当の豊かさなんじゃないかとさえ、かたつむりたちを見ていると思えてくる。
本当の豊かさとはアクティブに活動できているかどうか、ではなくて満たされているかどうかではないか、っていう気がしてきた。かたつむりがあの生活で満たされているのかどうか。わたしはかたつむりではないから分からない。でも、案外かたつむりはかたつむりなりに充足していて満たされているんじゃないか。別に人生の目標だとか、自己実現だとか、そうした大層なことを掲げなくても彼らは幸せなのかもしれない。
逆に人間は日々の営みを意図的に有意義にしようとしすぎて、かえってそれに縛り付けられている。本当は自由で、のんびりしていて、何物にも拘束されていないのに、自分で自分を縛り上げてしまっている。自分で自分を忙しくして、言うならば独り相撲をとっていると言ってもいいかもしれない。自分で自分の首をしめている。自分で自分を不自由にしている。
その詰め込んだやるべきことって本当にやらなければならないことなのだろうか。やらないと何か大変なことでも起こるのだろうか。いや、そんなことはない。やってもやらなくても、人が死ぬとか何億円もの損失が発生するとか、おおげさなことが起こるわけではない。もちろん、やるべきことがお仕事だったり、介護だったり、子どもの世話だったりすれば、それはやらなければならない。でも、自分を高めるための、自己実現のためにやるべきことなんて本来は何もやらなくたっていいのだ。やった方が自分は向上して高まっていくけれど、やらなくたって損失はたかが知れているのだ。それを脅迫的に、やらないと自分がさびついてしまうなどと思ってやるのはどこか間違っていたのではないか。
かたつむりたちがどんなことを日々考えているのか、できることなら話でもしたいものだ。もしも、かたつむりと話ができたら彼らは何て言うのかな? 退屈で仕方がない、というのかな。それとも、満更でもないとか、自分は幸せだって言うのかな。それは、かたつむりたちに聞いておくれってな話だから、真相は分からないけれど、切迫感とか焦燥感みたいなものはないんじゃないかって思うんだ。かたつむりには、ね。
かたつむりを見ながら、自己実現について考える。とてもいい試みではないかと我ながら思う。人生とはそもそも生き急ぐものではないのかもしれない、とかたつむりたちを見ていて思い始めた星である。ゆっくり、まったり。この尊さを忘れないようにしたい。ま、自己実現もほどほどがいいのかもしれないな。というか、かたつむりたちからしてみたら人間ってつまらないことにこだわってるな~って感じなのかもしれないね。人間はとかく余分なことや余計なことをしたがる。彼らはそんな風にわたしたちのことを批評するのかもしれない。なんてね。
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わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。