一進百退

 霊性、こころの清らかさ、平安。最近のわたしは順調に、というかぼちぼち平安の道を歩んでいた。が、ここにして一進一退どころか、一進百退。またしてもあの忌まわしきポルノを見てしまったのだ。
 今、これを執筆しながらも頭が回らない。しどろもどろになりながら、必死で何とか言葉を紡ぎ出そうと懸命にジタバタしている。
 わたしの精神を蝕むもの、元凶と言ってもいいかもしれない。それはポルノ。せっかくここまで平安へと進んできていたのに、何だか全部台無し。ぶち壊し。ひえ~、平安どころかギラギラが戻ってきてしまって、見るんじゃなかったって反省しているのだ。
 悟りとか霊性とポルノって両立します? するわけないじゃないすか(自分で聞いておきながら即答)。どう考えても、それは無理。ポルノを見てしまえば、太い太い煩悩の矢に射抜かれて、大なたで斬られたかのようでまさに致命傷。
 へ、平安がはるか彼方に遠のいてしまった。見えてきていたのに、なんて言うのは傲慢かもしれないけれど、確実に進んでいたのだ。今までの、ここ最近の前進を1とするなら、戻ってしまったのがだいたい100。そんな感じなのだ。
 裸のお姉さんの誘惑。男としてこれはもしかしたら、いや、わたしにとって最大のテーマだな。これをどのようにして遠ざけて、平安へと近づいていく道程をたしかなものとしていくのか。これにかかっている。心許ないのはたしかだ。ポルノを見るだけでガラガラ崩れていくのだから、頼りないと言えば頼りない。「わたしはもうポルノはいいんです」と遠ざけたい。できるのかな? これ最大の試練かもしれん(ダジャレじゃなくてね。「試練」と「しれん」をかけているとか言わないように)。
 それにしても文章が進んでいかない。それもそのはず。今はもう夜の10時少し前なのだ。が、パソコンのブルーライトを浴びた星どんは一向に眠くはならない模様。ブルーライト横浜ならぬ(って知ってる? 歌にあるんだけど)ブルーライト静岡ってな感じ(そのブルーライトじゃないけどね)。
 ポルノを見るだけでここまで心がかき乱されて、静寂さ、平穏が破壊されるのだから、妻帯なんてしようものならこりゃあ滅茶苦茶になるだわな。独身というのが一つのキーワードになることだろう。一人でいるのだ。一人で穏やかに、心静かに、性的な欲望に煩わされずに。
 これを読まれた女性の方で不快になられた方がいたとしたらお詫びしたい。でも、男性が、それも霊性を探求している男がこういうことに悩んでいるということは知っておいて損はしないと思うのだ。修行僧にとって一番きついのはこうした性的欲求じゃないかってわたしは思う。こうした欲求はやはり本能だから、なくしてしまうことはおそらくできない。だから、それとどう折り合いをつけていくのかっていうことになるんだろうけれど、それが難しいんだ。もうポルノのこととかいいから、とか突き放さずに星どんのポルノとの霊的な戦いを見守っていてくださいまし。必ず勝利しますよ、てか勝つとか負けるとかそういうことではなくて手放せるかどうか。
 手放す。性的欲求を手放す。ポルノを見たいと思う心を手放す。それらへの執着を、しがみついてしまう心を手放すんだ。考えてみれば本当のわたし、俗に言う真我はポルノを見ることを欲してはいない。それは現象であるわたしの体と心が欲していること。だから、現象として眺めて「あぁ、わたしの体と心はポルノを見たがっているんだなぁ」と冷静に自分自身を見つめ直せば鎮まっていくんじゃないか。
 というわけで、次にまたポルノを見たくなったら冷静に自分自身を観察するようにしよう。そして、自分に言い聞かせるんだ。「それを見たところで何になるの? それを見ても一時的に快楽が得られるだけで、結局また苦しくなるだけじゃないの?」って。
 やっぱり聖者が、悟りを得た人がポルノ鑑賞しているとか、そんな馬鹿な話はない。清らかに、どこまでも清らかでありたいと願うなら、汚れに満ちたものには近付かないことだ。自分を汚さない。清浄無垢。どこまでわたしがそれをできるかは分からないけれど、清浄でありたい。心の平安を手に入れたい。平和でありたい。もはや、わたしはポルノという煩悩の矢には射抜かれない。どこまでできるか。自分の心を透き通らせるために、できることはしていきたい。誘惑多き欲望にまみれた現世を軽快に清らかに歩いていきたい。

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