礼拝の説教の感想「世界をポカポカに」

キリスト教エッセイ
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 今日は日曜日なので、教会の礼拝に行ってきた。そして、一休みしてあともう少しで午後の2時といったところ。それにしても暑いですね、と言いたくなるほどの快晴。お天気日和まっただ中である。
 今日は平和主日ということで、いつもの福音書ではなく、ミカ書4:1-5が本日の聖書の箇所だった。
 平和主日。平和って一体いつになったら実現されるのだろう。剣を鋤に、槍を鎌に打ち直すって今日の箇所では言っているけれど、そんなこと実現できるのかな? そもそも、人間が生きている限り、争いごとはなくなる気配はまったくないし、現にウクライナでは今も戦争が行われている。そんな調子で今日の説教は始まったと思った。この状況下で、平和とか何とか言うのが綺麗事ではないのか。牧師は広島の話を中心にして、現実がドロドロしていることをこれでもか、というくらいにわたしたち信徒に突きつけてくる。そんなこと言われてもどうしたらいいんですか? 良心的な信徒である(自称)わたしはやはり困り始めてしまった。
 わたしはどうも、戦争の悲惨さを語ろうとする人が苦手だ。その人のことが嫌いなわけではなくて、単に途方に暮れてしまうからだ。
 で、結局というか、この厳しい現実を前にして何ができるか、ってなった時に牧師はまとめるかのように祈り求めていきましょう、とたしか結んだ。わたしたちって実に無力。教会に来て「世界が平和になりますように。アーメン」と祈るのだけれど、そんなことは関係ないかのように、世界では戦争や紛争などが起こる。それも立て続けに起こり続ける。わたしたちのアーメンはどこへ行ってしまったのだろうか。神様だってこういうわたしたちの平和を求める祈りはかなえてくださらない理由なんてないよね。却下したり、拒否したりするなんて愛の神様だったら絶対なさらないはずだよね。でも、そんな優しい神様のはずなのに、一向にわたしたちの平和を求める祈りはかなえてくださらず、実際物理的な力や行動などが幅をきかせている現実。
 ここまでの話を踏まえるなら、牧師が祈り求めていきましょう、というのが一牧師、信徒たちの限界ではないかと思えてくる。でも、わたしはここから一歩踏み出したい。何も目新しいことを言うつもりはない。もうすでにわかりきっていて、そんなの言われるまでもないよ、っていうことをあえて(?)言おうかと思う。
 わたしたち一人ひとりが心の平和を求めていけばいいと思うのだ。何だ、そんなこと言われなくたってやってるよ。そう言いたい気持ちも分かる。でも、究極的にはこれしかないんじゃないかって今日の説教を聞き終えたわたしは思うんだ。「一人ひとり」というのがミソであり大切なポイント。これは大統領も、総理大臣も、お偉い政治家も、はたまた権力を何も持っていないスラム街で暮らす人も、日本人もアメリカ人も、大人も子どもも、男性も女性もそのどちらでもない人も、ありとあらゆる人のことを言っているのだ。
 ひとつ確実に言えることは戦争を始める人っていうのは絶対に心が平和ではないと思うんだ。心が平和なのに軍事侵攻するなんてそんなバカな話があるわけがない。アティテューディナル・ヒーリングの人間観で言えば、人間は二種類しかいない。ポカポカしたあたたかい心でいる人と恐怖などの怖れにとらわれていて助けを求めている人の二種類。だから、戦争を仕掛ける人というのは怖れに支配されてしまっている人なんだ。こうした人はもちろん悪者扱いされるけれど、実は困っている人であって、助けてくれ~って叫んでるんだ。
 だから、世界を平和にする方法はわたしが言うこの方法しかない。一人ひとりが自分の心を平和にしていくんだ。そして、実現不可能ではあるけれど、すべての人の心が平和になった時完全な平和になり、多くの人の心が平和になった時にはおおむね平和が達成される。
 もちろん、そんなことは不可能で絵空事でしかなくて、今日のミカ書の4章にもある通り、それは世の終わりにならなければ実現しないことなんだ、というのはもっともだ。でも、世界を1ミリでも良くしていくことには限りない意義があり、れっきとした価値がある。そう考えていった時、このわたし、そしてわたしたちにできることは自分の心を平和に整えていって、少しでも平和の循環を促進していくことではないだろうか。まずは自分の心を平和にする。そしてさらには自分のまわりの人たちへと影響を広げていく。そんな調子で多くの人が心の平和を実現していけば、きっとこの世界は1ミリずつでしかないかもしれないけれど、確実に良くなっていく。身近な人の話をアドバイスや批判などをしないで、ただただあたたかいポカポカした態度で聴く。ポカポカは広がっていく。それは平和が広がっていくということだ。だから、何も難しいことをすることだけがすべてではない。専門的な知識が必要なことは専門家に任せておいて、わたしたち凡人はただただ自分のポカポカで身近な人をあたためていくんだ。
 ポカポカした人がどこまでも増えていった社会はきっとあたたかいのだろうな。そうした世界はとても居心地がいいだろうな。冷たい怖れか、それともポカポカの愛か。世界を単純化しすぎているきらいはあるかもしれないけれど、要はそういうことなんじゃないかなって思う。
 わたしの心をまず平和にする。これ世界規模の運動にしたらいいと思いません? 絶対効果あると思う。世界をポカポカにする運動。以上が礼拝の説教の感想。某時間テレビも言っているように愛(ポカポカ)は地球を救うはずなのです。きっと。

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